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たまたま私の住んでいる土地に、小さな文学賞があって、私はかなり長く審査をつとめた。これが「千葉文学賞」で、初期の頃は、恒末 恭助、峯岸 義一、福岡 徹、窪川 鶴次郎の諸先生が審査にあたっていた。ある時期からは、長老の恒松 恭助さんを中心に、宇尾 房子、竹内 紀吉、松島 義一、私の五人が、審査にあたるようになった。この審査会は年に一度だったが、恒松さんのお人柄もあって、いつも楽しい集まりになった。
審査の席で、宇尾さんと私の意見はだいたいおなじになった。文学観が違っても個々の作品の評価になると、不思議に似たような評価になる。そんなとき宇尾さんは私の面子を立ててくれたのだろうか。いや、宇尾さんにそんな成心のあろうはずはなかった。
審査のあと、すぐには別れがたい思いで、宇尾さん、竹内君、松島 義一君と、近くの旗亭で、酒を酌みかわす。いろいろな話題が出たが、これがじつに楽しかった。
だいたいは有名作家の作品が話題になるのだが、竹内君が何かの意見を述べと、松島君が切り返す。竹内君がムキになって反論する。宇尾さんは、かるく手をあげてふたりを制する。ときには顔に笑いをうかべたまま、これだから男衆は……とでもいいたげに、ハンカチを出して、口にあてるのだった。
私たちが何を話したのか。今となっては茫々として思い出せないが、まるでたあいもない話題に私たちはいつも笑いころげていた。
宇尾さんは、この「千葉文学賞」以外にも我孫子市の教育委員会編の「めるへん文庫」の審査などもやっていた。
その「選評」に「みんなが幸福であってほしいとねがう優しい心や、この世の不思議になぜ? と問いかける心があったから物語ができあがったのです」と書いている。こんなことばにも宇尾さんのひたむきな制作の姿勢がうかがえるようだった。
宇尾さんの小説に出てくる、ごくふつうの日常のなかに、ときどきギラリとひらめく異様な輝きのようなもの、ときには生理的にドキッとさせられるような部分。いかにも女流作家らしい、ゆたかな肉感性や、息苦しい背理といったもの。「日本きゃらばん」に発表された作品は、だいたいそういうものに彩られてはいなかったか。