短い文章を書く。
べつにむずかしいことではない。
釋 瓢齋は、昭和初期、戦前の「天声人語」の執筆者として知られている。『白隠和尚』、『俗つれづれ』といった著書は、十数版を重ねたベタセラーだった。
先輩の徳富 蘇峰は、
瓢齋君の筆は光ってゐる。其の短章を用ゐる技倆は天下に公評がある。然も其の長編にも亦た同様の特色がある。何となれば短章の累積が、則ち長編であるからだ。
という。
私は、蘇峰にまったく関心がない。瓢齋を褒めているようだが、これでは褒めるどころかむしろ貶しているように見える。
もっとも、瓢齋のほうも、あまり褒められたもの書きではない。
私は『瓢齋随筆』を読んだだけだが、失礼ながら退屈な随筆集で、今となっては読むにたえない。
なぜ『瓢齋随筆』などを読んだのか。森田 たまを軽蔑している私は、どうして、こんなオバサンが名随筆家としてもてはやされたのか、そんな興味から、昭和初期の随筆というジャンルの文学的なレベルを知りたくなった。
瓢齋は、一茶について、誰よりも早く、熱心にとりあげたひとり。
釋 瓢齋の随筆、『瓢齋随筆』(昭和10年)を読んでいると、こんなことが出てきた。
「一茶が俄に有名になったのは大正12、3年の頃からではなかったか」という記述にぶつかった。
思わず眼を疑った。 (つづく)