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またまた古い話になる。ジュリアン・デュヴィヴィエの映画『旅路の果て』のなかで、老優に扮したルイ・ジュヴェが、かつてのプリマ・ドンナを見て思わず呟く。「老年は醜い」と。
老年をどういうふうに受け入れていくのか。これは、思想的な問題であり得るだろう。げんに、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『老い』のようなすぐれたエッセイもある。しかし、平凡な作家には、老いを主題にしてシモーヌのように書けるはずもない。

つい最近知ったのだが――
1950年から、1990年まで、わずか40年間の経済生産のすさまじい拡大は、有史いらい1950年までの5000年間のそれよりも、じつに4倍になったという。

私たちは、毎日、そうした経済、および様々な生産体制の発展のなかで生きている。誰ひとりそのこと(そうした経済状況を)別に不思議に思ってはいない。

だが、計算しただけで、私たちの1年は、老いぼれた地球の1世紀ということになる。

つまり、私たちは、毎日、かつての歴史の数年というスパンを生きていることになる。

もし、地球がつぶやくとすれば――地球の「老年は醜い」というかもしれない。

私はいまや地球の未来に関してはっきりペシミストである。自分の未来については、オプティミストだが。