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最近まで音楽を聞かなかった。さしたる理由があってのことではないが、しばらく音楽を聞くまいと誓った。むろん、自分から求めて聞くことをしないというだけで、聞こえてくる音楽まで断ったわけではない。

その私が久しぶりでCDを聞いた。

旧ソヴイエトのソプラノ、リューバ・カザルノフスカヤ。

彼女の存在を知ったのは90年代の半ばだった。まだソヴィエト崩壊前のこと。
たった一枚しか出ていないCD、「イタリア・オペラ・アリア集」(メローデイア)を聞いたのだった。
はじめて聞いたときから、私はリューバに魅せられた。私がさわぎまわったので、私の周囲にいたお嬢さんたちも、リューバを聞いてくれた。

その後、ソヴィエト崩壊から、彼女の消息はわからなくなった。私はひそかに心配していたが、その混乱のなかで彼女のCDを探しまわって、やっと、2枚手に入れたのだった。その1枚は、ガーシュインや、アメリカのミュージカルまで入っているもので、ロシアの変貌ぶりがわかったが、カザルノフスカヤの健在を知ることができた。

さらにその後、カザルノフスカヤが来日して、リサイタル形式で『サロメ』全曲を歌った。このコンサートに、青木 悦子、鈴木 彩織、竹迫 仁子たちといっしょに行った。このとき、終幕近く、リューバの声がみだれた。おそらく、旅行の疲労も重なっていたのだろう。
しかし、私は長年関心をもちつづけてきたソプラノを、東京で、実際に聴くことができたよろこびにひたっていた。
その後、リューバ・カザルノフスカヤは世界的な名声を得ている。

私は、人生の途上で、たくさんのすぐれた芸術家に出会うことができた。現実に知り合う機会はまったくなかったが、そういう人々の仕事にいつも鼓舞されて、自分もやっと仕事をしてきたという思いがある。

そして、今、またリューバを聞いてあらためて感動した。
ソヴィエトで、はじめて、たった1枚だけ出せたCDで、リューバのみずみずしい声のすばらしさがいきずいている。こんな1枚をもっている人は、私たち以外にはあまりいないだろう。
リューバを聞いたことから――しばらく封印してきた音楽にふたたび親しむことを自分に許そうと思っている。