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東京に闇市が出現したのは、いつからだったのか。
敗戦直後の9月といわれているが、実際には、もっと早かったのではないだろうか。
ほとんど自然発生的に、駅前に人が集まり、食料はもとより、日用雑貨、繊維製品など、それぞれ物々交換で、必要な品物を手に入れようとしたと思われる。
それは、あっという間に、ひろがってゆく。
一方で、軍の組織が崩壊して、各地で軍の物資の処分がはじまっていた。内地の軍の正規の復員業務は、もう少しあとだったにせよ、8月下旬には多数の現役の兵士が、現地の部隊から帰郷しはじめていた。(私の友人、小川 茂久は8月の初旬に招集されたが、8月中に除隊されている。)

はじめは、各地の復員兵めあてに、にぎり飯、フカシいも、蒸しパンなどを売る人々の群れがあらわれた。はじめはせいぜい十数人の規模だったのが、午後には数十人になり、翌朝は数百人の闇商人がひしめきあうありさまだった。
こうして、一般市民を相手に種々ざったな食べ物、衣類など、ありとあらゆるものを供給する市場が形成されて行く。

やがて(といっても、ほんの二、三日から、せいぜい一週間で)ヤキトリ、ホルモン焼き、雑炊、オデン。ショーチュウ、ドブロク、酒、ビールなどを売る屋台ができた。ぐるりを葦簾張りにして、長いベンチを据えて、そのなかで煮炊きをするのだから、れっきとした屋台であった。
こういう店がならぶ路地ができて、飢えた人々がひしめいていた。

それまで見たこともないほど雑多な品物が並べられた。鍋、カマ、お茶碗といった日用品、靴、とくに軍放出の軍靴、地下足袋、戦闘帽、雑農、古着から、鋸、鉄槌、シャベル、電気コンロ、ラジオ、とにかくありとあらゆるものが並んでいる。
9月以後になると、アメリカ兵の売り払ったタバコ、チョコレート、Kレーション、ライターなどが氾濫する。

そして、アメリカ軍が上陸して、数時間後に、若い女たちが、アメリカ兵に群がりはじめる。これも、敗戦国の、すさまじい、みじめな風景だった。
白昼、スカートをとられたらしく、下半身をむき出しにして、素足のまましらじらとした新橋の裏通りをぼんやり歩いている女学生ふうの少女を見たことがある。