戦後の私たちはそれこそ右往左往していた。
とにかく歩いた。
衣食住、何もかも不足していたので、生きてゆくために必要なものを探して歩いた。戦争が終わった直後に闇市場ができた。駅の周辺に人が集まる。なにかを売って稼ごうというひとたち、生活のためになにかを買う人たちが自然発生的に、闇市を作った。
生きてゆくためには、食い物、衣料が必要だった。しかし、生活してゆくには、それだけでは足りない。
私たちは、いささかの笑い、わずかな希望、なぐさめ、直接、腹のたしにはならないにしても、心の飢えをみたしてくれるものを求めていた。よくいえば、混乱と絶望のなかでも、文化のようなものが必要だった。文化は享楽でもあった。
戦争が終わった直後、ワラを編んだ大きなかぶりものを頭にいただいて、それにアメの棒をぐるりとさして、三味線でおどりながら売る女、ヨカヨカ飴が出た。
闇市の、葦簾(よしず)張りに幕を張りめぐらして、女が裸の下半身をむき出しにして、見物にタンポ槍で突かせる、いかがわしい見世物も出た。敗戦の東京に、いきなり江戸時代が戻ってきたようだった。
大阪では、敗戦の混乱がひどく、映画、演劇の興行が緊急に停止された。これが、一週間続いた。8月22日からいっせいに再開されたという。
東京はどうだったのか。
(私は、8月17日の早朝に東京にもどってきた。那須に疎開していた母は、8月15日、ラジオで天皇の終戦詔勅を聞いてすぐに家財いっさいを売り払って、まっしぐらに東京に向かっていた。つまり、私と行き違いになったのだった。)
その日、徹底抗戦を主張する海軍航空隊の戦闘機が、超低空飛行で飛びまわり、抗戦をうったえるビラをまいていた。
私は、この日、映画館に行ったわけではない。しかし、娯楽に飢えていた人たちは、盛り場に出かけたり、もうたいへんな勢いでひろがっていた闇市に出かけていた。
この時期、どういう映画が公開されていたのか。
「河童大将」(嵐 寛寿郎・主演)
「韋駄天街道」(長谷川 一夫・主演)
「愛の世界」(高峰 秀子・主演)
「団十郎三代記」(田中 絹代・主演)
残念ながら、私は、こうした映画を一本も見ていない。