電信柱に貼ってあった広告のチラシを思い出した。
アメリカから、テレル夫人という女性が来日したという内容のものだった。私が小学校の低学年だった頃。昭和10年代。
テレル夫人はたいへんな肥満で、関取の小錦よりももっとデブだったはずである。
来日したときも、当時の鉄道の客車には乗れず、わざわざ貨物車に椅子兼用の寝台を用意して各地を巡業した。見世物だったらしい。
私はテレル夫人を見なかった。見たいとも思わなかった。
ただ、毎日、電信柱にベタベタ貼りつけられたチラシを見ながら通学したので、テレル夫人の名前をおぼえてしまった。
つい最近、こんな人生相談の投書を読んだ。
育児休業中の30代女性。
幼い頃から続けてきた水泳を、中学時代に一時期やめて体重が15キロふえた
ことがありました。
高校になって水泳を再開して体重はもとに戻りましたが、以来、体重の増加が
過剰に気になるようになりました。1キロでも増えると落ち込んだり、イライ
ラしたり。毎日、体重計に乗ってイライラする自分が嫌になります。
べつに、やせて綺麗になろうとは思っていないのです。増えてしまうのが恐ろ
しい。今、太ったら、もうもとには戻らないだろうと思います。
体重が気になるのは自分に自信がないのが原因かも。本来、食べることは好き
なのですが、カロリーばかり気にして、毎日歩いて、野菜中心の食事にしてい
ます。それでも太ってしまうのではと心配。こんなことをずっと考えて暮らし
ていくのはつらいです。たべたいものを楽しく食べていきたいのですが……
この女性にとっては、わずかな体重の増減が人生の重大事なのか。
はっきりいって、こういう考えが――まず精神的によくない。1キロでも増えると落ち込んだりイライラするというのは、潜在的な鬱病の初期症状と見たほうがいい。
「べつに、やせて綺麗になろうとは思っていない」というのは、Evasive な表現で、はっきり「やせて綺麗になろう」と考えたほうがいいのではないか。
むろん、やせたから綺麗になるとはかぎらない。
若い女性のほっそりした足が魅力的に見える、といっても、外国人の眼には、日本の女性の、むしろぼってりした大根足のほうが、けっこう魅力的に見えていることを考えればいい。
テレル夫人のような極端な肥満は論外だが、やせている女性より、いくらかふとりじしの女性のほうが好まれることも多い。
「イヴのすべて」で主演したアン・フランシスという女優さんは、小柄だが、ぼってりしたからだつきだった。いまの女優でもアンジェリーナ・ジョリーなどは、ふとりじしといっていい。
だから、体重が15キロふえたぐらいで悲観する必要はない。30代で、育児休業中の女性なら、ホルモン・バランスから見て、多少ふとっても自然ではないか。
「今、太ったら、もうもとには戻らないだろう」などと考えないこと。
毎日、体重計に乗ってイライラするのはやめたほうがいい。
自分のからだをよく知って、いちばん貴重な体重をいつまでもたもちつつ、これからやってくる40代、50代を楽しみにしながら、好きなものを食べる。(むろん、食べすぎはよくないが。)30代といえば、女としても最高の時期ではないか。
毎日歩いて、野菜中心の食事にしようというのは殊勝だが、カロリーばかり気にするのはよくない。
私たちの幸せは毎日の食事をおいしくいただくことにある。私たちはカロリーばかり気にするために生きているのではない。