(つづき)
宮 林太郎の最後の長編、『サクラン坊とイチゴ』は、マリリン・モンローに会いに行くという口実で、死んだ有名人のパーティーに出席する宮さんの姿がえがかれている。そのお供を仰せつかった、ウスラバカの作家「中田耕治」が登場してくる。
ほかの作家がそんなイタズラを仕掛けたら、温厚な私といえどもただちに反撃するだろう。しかし、宮さんがそんなイタズラをしても、別に不快な気分はなかった。
私がヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーを尊敬し、コクトォについても、宮さんと語りあえる程度の理解をもっていたことから、私に対して親近感を寄せてくださったものと思われる。
晩年の宮さんは、「無縫庵日録」と題して、膨大な日記を書きつづけていた。そのなかに、私も登場してくる。
久し振りに中田耕治さんからお便りをいただいた。中田さんの笑顔が目にうかびます。そのご返事を書いた。
ぼくにとって現在愛する友人はみんな死んでしまってあの世ゆき、中田さんだけが愛する一人になりました。つまり、心の通う友ということです。こんなことを言って申し訳がありませんが、今やあなた一人が尊敬する心の友です。とても寂しいです。ぼくは八十九歳です。もう死んでも文句の言えない限界に達しています。(後略)
「無縫庵日録」第八巻 平成12年(2000年)3月22日。
現在の私は、当時の宮さんの孤独がいくぶんでも理解できる年齢になっている。老年の宮さんの孤独も。
月並みな感慨だが、劉 廷之の詩の一節を思い出す。
年年歳歳花相似 年々歳々 花はあい似たり
歳歳年年人不同 歳々年々 人はおなじからず
宮さんが細いボールペンで、びっしり書きつけたメモを、古雑誌のなかに、しかも私自身のエッセイのページに挟んであるのを見つけた。そのとき、無数の想念のなかに、そんな感慨が胸をかすめたとしても、不自然ではない。
現在の私は少し長いものを書きつづけている。例によって、なかなか進捗しない。
たまたま、まったく偶然に、自分の書いた作品の掲載された古雑誌をみつけた。これとてめずらしいことではない。
しかし、そのなかに、思いがけず、宮 林太郎が私にあてた手紙の下書きが入っていた。それを「発見」したとき、私がどんなに驚いたことか。それだけではない。故人に対するなつかしさ、たまたま人生の途上で知りあうことのできたありがたさ。この古雑誌が私の手もとに戻ってきたことに、いいようのないよろこびを経験したのだった。
因縁とまではいわないにしても、すでに亡くなった人の呼び声を聞き届けたような気がした。一瞬、夢を見ているような気がした。だから雑誌に挟まれていたメモを、ひそかなメッセージとして読んだとしてもおかしくないだろう。
世の中には不思議なこともあるものだなあ、という思いがあった。
春夢随我心 春夢 我が心にしたがって
悠揚逐君去 悠揚として 君を追って去らん
春の夢かもしれないが、私の心のままに、別れを惜しみ、在りし日のあなたのことを考えながら、ゆめのなかであなたを思いうかべよう。包 融の詩の一節である。
冥界におわします宮 林太郎は、私がぐずぐずして、いつまでも新作を出さないのに業を煮やして、こういう形で激励してくれたのかも知れない。
宮さん、ありがとう。
私の近作はもうすぐ完成します。あまり期待されても困りますが、そのうちにご報告できるかと思います。