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このブログを書く。アクセス数が5万をこえたので、何かおもしろいことでも書きたいと思っている。

おもしろいこと。
つい最近、おもしろいことにぶつかった。もっとも、私以外の人にとっては意味もないことなのだが。
みなさんに聞いてもらうほどのことではないが、私にしてはめったに経験したことがないので、ここに書きとめておく。

2010年の冬季オリンピック。日本がイギリスを11-4で圧勝したカーリングの第4戦を見たあと、外出した。私の場合は古本屋めぐりの散歩である。私の住んでいる都会は古本屋らしい店も激減していて、近郊の小さな町まで、私鉄に乗って出かけることも多い。この日、私が行ったのは、電車で20分、ある私立大学のキャンパスがある町の古書店だった。映画関係の本が多いので、ときどき立ち寄ってみることにしていた。

表通りに面して、雑書や、文庫などの棚が並べてある。値段もだいたい100円どまり。雑書の背中を見て、少しでもおもしろそうなものは手にとってみる。ざっと本の内容をたしかめて、棚に戻す。
ふと、1冊の古雑誌が眼についた。おや、と思った。見おぼえのある雑誌だった。

「SPIEL」6号(1995/7)。
三重県鈴鹿市の福島 礼子さんが編集して出していた個人雑誌だった。発行部数は、おそらく、きわめて少なかったと思われる。

福島 礼子さんは、同志社大卒。三重県文学新人賞(評論部門)を受賞した女性で、著書に『文学のトポロジー』、『化粧パレット』、『都市のモルフェ』、『セクシュアリティーの臨界へ』などがある。
私は、斉藤緑雨賞という文学賞の審査にあたったことがあって、そのとき、福島 礼子さんの面識を得た。そんな縁で、福島さんの「SPIEL」に、「フリッツイ・シェッフ」というエッセイを発表した。
「SPIEL」6号(1995/7)に、それが掲載されている。

私は驚いた。「SPIEL」のような、へんぺんたる雑誌(失礼!)を、千葉県の片田舎の古本屋の店先で見つけた。これか、最初の驚きだった。
さらには、ひょっとして、私のエッセイを読んだ人がいるかも知れない。
そのころ、私は、評伝『ルイ・ジュヴェ』を書きつづけていたが、まったく先が見えず、悪戦苦闘していた。福島さんから「SPIEL」に何か原稿を書いてほしいと依頼されて、ルイ・ジュヴェと関係のないオペラ歌手、フリッツイ・シェッフのことを書いたのは、いわば気分転換のつもりもあった。
斉藤緑雨賞でお世話になっている方からの依頼なので、私としては、そのときの自分の最高の作品を提供した。「まぼろしの恋人」と題した「フリッツイ・シェッフ論」は、今でも、私の代表作のつもりである。

その「フリッツイ・シェッフ」の掲載された雑誌を見つけた。すぐに買った。100円だった。
驚きはあとからやってきた。
(つづく)