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  立○ ○子さん

お手紙、ありがとう。とても、うれしかった。

私は、今、少し長いものを書きはじめたところなんだ。
何を書くのか自分でもわからない段階の作家は、内心、いい知れぬ不安をかかえている。これから書こうとしているものが、ほんとうにおもしろいものになるかどうか。実際に書きつづけるとして、作品の長さ、サイズはどうなるのか。読みやすいかどうか。
はたして読者が読みたいと思ってくれるかどうか。それに、だれが読んでくれるのか。読んでもらえるほどの魅力があるかどうか。
不安は、つぎからつぎに重なってくる。
だいいち、書きあげることができるのかどうか。

だからたいていの作家は、自分の前にしらじらしく広がっている茫漠たる空間に、ただ立ちすくんでいる。きみのいう「炯々たる虎のまなざし」なんて、とんでもない。
もはや老いぼれて、シマシマも色褪せ、牙も抜けて、ヨタヨタの虎は、果てし無い密林(タイガ)をのろのろと歩きまわっている。たまに吠えても、ほんの退屈しのぎか、自分がまだ声をだせるかどうか心配で、よわよわしく咆哮してみせるだけのことなのだ。
きみは私が「どんな分野でも自由自在に書きわける」才能をもっていて、その幅のひろさに驚いている、という。これまた、とんでもない。私はひどく狭い分野をうろついていただけのことさ。

はじめてものを書きはじめた頃、先輩の荒 正人がハガキをくれた。
若い頃のチェホフは、アントーシャ・チェホフというペンネームで、おびただしいコントや、ファルス、滑稽な雑文を書きとばして、医科大学を出た、と。当時、まだ学生だった青二才にこんな助言をあたえてくれた荒 正人の励ましがどんなに嬉しかったことか。
そこでチェホフにならって、いろいろなものを書きとばしてきた。
ただし、肝心なことを忘れていた。私には才能がなかった。もう少し才能に恵まれていたら、今頃もう少しなんとかなっていたはずだよ。アホな話だよ、まったく。

たとえば、児童むきの小説、ジュヴナイルものを書きたいと思ってきた。1冊でも書けたか。児童むきの絵本を翻訳する機会さえなかった。たとえば、ファンタジーを書きたいと思った。1冊でも書けたか。残念なことに、そんな機会もなかった。
若い頃の私は、依頼された原稿を書きとばしてきた。放送劇からポルノまで。馬琴は、良書を得るために悪書を書くと称したが、私の場合はポットボイラーの仕事ばかりで、まともな作家のやる仕事ではなかった。
何しろ貧乏作家だったからねえ。
きみは――「先生のほかに(そんな仕事をする人は)ちょっと見当たらない」という。
正直のところ、耳が痛い。きみは、私を多才なもの書きと見てくれているようだが、ひいきの引き倒しってヤツだよ。

きみが久しぶりに手紙をくれた。せっかくだから、もう少しさらりと「アントーシャ・チェホフ」をやってみるか。
荒 正人に対する感謝の思いは変わらないように、私に手紙をくれたきみにも感謝している。