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いろいろな人の訃報を聞く。わずかにその名を知っている程度の人々は別として、はからずもめぐり会ったことの不思議さ、そうした人がついに不言人となるを聞けば、追憶の心をおぼえるのは当然だろう。

女優の東 恵美子が亡くなった。
創立間もない「青年座」で、彼女は私の演出につきあってくれた。当時、私はよくラジオドラマを書いていたので、放送劇にも出てもらった。
東 恵美子自身は口にしなかったが、浪曲師の東 武蔵の娘だった。浅草でいろいろと浪曲を聞いていた私は、そのことに関心をもったと思う。東 恵美子が、もともと放送劇団をへて「俳優座」に入ったという経歴も、私には近しい位置にいるような気がした。私も似たような運びで、「俳優座」の養成所にかかわり、やがて演出を手がけるようになったからである。
彼女は、おなじ劇団の、山岡 久乃、初井 言栄とともに、私の女優観――(そんな大仰なものではないが)――の根っこに、いつも存在していた。つまり、私が女優を見たり、女優について考えるときは、この三人の女優たちや、ほかの数人の女優たちの姿、気質、性格、芸風などとひき較べたり、そこから何かを推し測るといった、一種のクライテリオンになった。
まだ、結婚する前の彼女が南 博とつれだって歩いているところを見たとき、思いがけず、南さんから声をかけてきたことを思い出す。

私にとっては、なつかしい女優さんのひとり。

しばらくして、ジーン・シモンズの訃報を聞いた。

イギリスの女優にはアングロサクソンに特徴的な香気(フレグランス)がある。ここでは説明しないが、ヴィヴィアン・リー、マーガレット・ロックウッド、グリア・ガーソン、クレア・ブルームと挙げてくると、ジーン・シモンズが典型的にイギリスの女優としての香気をもっていたことがわかる。
戦後、「大いなる遺産」の「エステラ」や、「ハムレット」の「オフィーリア」を演じたジーン・シモンズのすばらしさは忘れられない。しかし、その後、女優としては空疎な歴史ロマンスに多く出た。マーロン・ブランドを相手にした「デジレ」などが記憶に残っているが、女優としては進むべき方向を誤ったとしかいいようがない。