一月の末に、J・D・サリンジャーが亡くなった。
私は、サリンジャーをもっとも早く読んだひとりだったから、この作家の訃に深い感慨があった。
それとは別に、私の内面にはサリンジャーの紹介に関して感慨があった。
現在は村上 春樹の訳がひろく読まれているが、日本で誰よりも早くサリンジャーを先に訳した翻訳家、橋本 福夫の仕事は誰の注目も浴びなかったと思われる。
しかし、橋本 福夫の訳は、後発の某先生の訳に比較して、いささかも劣らない、みごとなものだった。ある部分、橋本訳のほうがすぐれていたと思う。
ただし、原題の『ライ麦畑でつかまえて』ではなく、『危険な年齢』などという愚劣な題名で出版された。(出版社は、ダヴィッド社)
当時、アメリカ映画の「理由なき反抗」とか、フランス映画の「危険な都市小室」といった映画にあやかったネーミングだったのだろう。そのため、ティーンエイジャー向きの読みものの原作か何かと見られたのではないか。
むろん、橋本 福夫の責任ではない。橋本 福夫訳は、当時としてはやむを得ない誤訳があるにしても、サリンジャーの本質をただしくとらえた、優れた翻訳だったことにかわりはない。翻訳史上、これは特筆していいと思う。
これから翻訳家を志す人は、まず橋本訳を探し出して一行々々、吟味して読むことをすすめる。一介の翻訳家の仕事などと見くびってはならない。
橋本 福夫は、田中 西二郎、中村 能三、宮内 豊などとおなじ世代の、もっともすぐれた翻訳家なのである。『危険な年齢』は、たいして売れなかったはずだが、ときどき古書市で見つかる。
サリンジャーの追悼とは無関係に、私の胸に、あまり恵まれなかった(と、想像するのだが)、すぐれた翻訳をしながらついに不遇だった先輩の翻訳家に対する敬意と、ひそかな同情がかすめてゆく。