ジョン・ダンの詩をあまり知らない。ヘミングウェイが自作の題名にしたので、とりあえず読んだ程度。
彼の「おはよう」The Good-morrow という詩が好きだった。
朝の眼ざめをむかえた恋人たちの詩。私にはとても訳せないので、まことに散文的で平凡な説明しかできない。朝、眼ざめたばかりの恋人たちが、お互いの眼を見つめあっている。第一連の冒頭は――きみとぼくが互いに愛しあうまで、いったい何をしてきたのだろう? 乳離れもしないおさな子みたいに、世なれぬたのしみにふけってきたのか。
しかし、こうしてお互いのうつそ身をふれあわせてみると、この愛のよろこびのほかは、何もかもまぼろしなのだ。
以前のぼくが、どこかの美人に出会って、欲望のままにものにしたことがあったにしても、それもじつは、きみというまぼろしを追っていたからなのだ。
そして、第二連。
こうして眼ざめたぼくたちの朝の挨拶。互いに見つめあっていて、なんの気づかいもない。愛すればこそよそ見をする気もちは起きないし、こんな小さな部屋なのに、これが世界のすべてになる。
新世界をもとめて大わだつみを航海する冒険者、はたはまた、地図を見ながらつぎつぎに世界を知る人たち。ぼくたちも、それとおなじで、一つの世界を抱きしめる。お互いが一つの世界を手にして、しかもおなじ一つの世界なのだ。
第三連。
きみの瞳にぼくがいて、ぼくの瞳にきみがいる。ふたりの顔に、真実の心がやどる。
きびしい北も、日の沈む西もない。これほど、ふさやかな半球ふたつが、どこにある。
おぞましいもの、いまわしいものは、ここにはまざらない。きみとぼく、ふたりが一つにとけあって、衰えることなく、ひとしく愛しつづければ、死ぬことはない。
こんな小曲にも、ルネッサンスの恋人たちの姿がうかんでくる。
好きな詩さえ訳せなかった私だが、せめて訳詩集の一冊ぐらいは出したかったと思う。もはやとり返しのつかないことだが。