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 北原 白秋の

ただ飛び跳ね 踊れ 踊り子 うつし身の 沓のつまさき 春暮れむとす

これはステージに立つ踊り子を詠んだものだろう。

当時、マック・セネットの「水着美人」が、日本男子のあこがれだった。
たとえば、笑うと、くっきりとえくぼが刻まれるフィリス・ヘイヴァー。メアリ・サーマン。
いつも額のうえに、ヘアーを巻きつけているルイーズ・ファゼンダ。

セネットの「水着美人」を見慣れたファンの眼には、五月 信子の水着は、失望でしかなかった。胸の貧弱なこと! 筑波 雪子の笑いには、海辺で笑いころげるマリー・プレヴォの自然な美しさはなかった。
駒田 砂子の痩せこけた肉体は、そのまま当時の日本映画の貧弱さにほかならなかった。高島 愛子だけは、豊満な肉体をゴムまりのようにはずませて、海辺を走っていても見劣りはしない。

「活劇などによく女が誘拐されるシインがある。あんな時の身悶えが、実に自然
で良い。女優が自分でも気がつかないところで、さすがに女らしくスカートに気
を取られたり、思わず知らず髪を撫でたりする所がある。ことにあの肥大な腰部
や長い太い足、肩などにある獅子の様に立派な肉塊、可愛らしい熟した棗のやう
な小さい女靴、さう云ふ所にはとても日本で見られないものがある。

こう書いたのは室生 犀星。
彼は、どういう女優に関心をもっていたのか。そのなかに、マリー・プレヴォ、ハリエット・ハモンド、マートル・リンド、アネツト・ド・ガンティスといったマック・セネットの「水着美人」がいたとしても不思議ではない。

北原 白秋の一首から、マック・セネットの「水着美人」まで連想する。
もはや誰も知らない女たちにひそかにあこがれるのも、私の悪徳の一つ。