もともと教養がないので、和歌、短歌については、ほとんどふれなかった。和歌や短歌は、はじめから私などが立ち入るべき世界ではない。
さはさりながら、和歌や短歌をぼんやり考えるだけでもいい。そう思いはじめた。
俊成卿の女(むすめ)の一首について。
あはれなる心ながさのゆくへとも 見しよの夢を 誰かさだめむ
この歌について、ある評釈は――きはまれる幽玄のうたなり、という。
つまり、最高の傑作ということになる。へぇえ、これが、和歌史の最高の傑作なのか。
まず、評釈を見ておこう。
この歌は、このうえない幽玄の歌である。あの夜の……あの頃の、という気分
も含まれている――ふたりのあいだの隠しごと(秘事)は、あの人と自分以
外に誰も知らない。だから、その後また逢うことを心の底にもって、お互いに
心変わりもせずにまっていた。この気もちを、あの人が知っていてくれるとし
たら、あの当時の関係はきれいにあきらめて、夢ともかたをつけてしまおう。
が、しかし、あの人は忘れてしまっているので、かえってあきらめられぬ。そ
んなふうに解釈されているらしい。
これは凄い。私はしばし茫然とした。この評釈の評釈は、だれあろう、折口 信夫。
この歌は、じつは本歌どりという。権中納言、公経(きんつね)の作に、
あはれなる心の闇のゆかりとも 見し夜の夢を たれかさだめむ
という一首がある(そうな)。これも、折口先生に教えていただいた。凄いね。
しばし茫然とした。この凄さは――これほど完璧なパクリなのに、権中納言の作は、まあ、その時代の平均よりほんの少し上の作なのに、俊成卿女の作は、当代きっての幽玄の歌、という評価の違い。
これほど完璧なパクリでは、今なら盗作騒ぎで、俊成卿女は週刊誌に書き立てられるだろう。宮廷を中心にして、和歌の才能がいちばん重要な時代である。
俊成卿女はきっと美女だったに違いない。まさか顔の整形手術はしないだろうが、しばらく行方不明になるか。(笑)