先日、このコラムに劇評めいたものを書いた。
トム・ストッパードの『ユートピアの岸へ』という芝居で、三部作、通しで9時間という長い芝居だった。
要領のいい私は座ぶとん(登山のビバーク用)を用意して行ったから、けっこう快適に見られた。
長い芝居といえば、オニールの『奇妙な幕間狂言』や、ノエル・カワードの『カヴァルケード』などを思い出す。
映画にも長い作品はある。ヴィスコンティの「ルードヴィヒ」や、旧ソヴィエト映画の「戦争と平和」など。
長い映画を作ろうとした映画監督は多い。エリッヒ・フォン・シュトロハイムは「グリード」を撮ったが、40巻、上映時間は10時間の予定だった。プロデューサーのアドルフ・ズーカーがふるえあがって、製作中止。
この映画はメタメタにカットされたあげく、2時間に短縮されて公開された。だから傑作になるはずだったが、平凡な愚作に化けてしまった。フォン・シュトロハイムは、映画が撮れなくなってしまった。誰も監督を頼まなくなったから。
私はアドルフ・ズーカーのような人間を心から軽蔑しているのだが。
テレビでは、ジェームズ・ミッチナーの長編、『センティネル』の放送。アメリカ独立記念番組として放映された。たしか、24時間、ぶっ通しのテレプレイだったはずである。このドラマを全部見た人は、ほとんどいなかったのではないか。
私はこの原作を読んで――というより斜め読みしたが、本の厚みが、12センチもあった。翻訳した場合、推定で5千枚。なにしろ分厚い本なので、昼寝の枕にちょうどいい厚みだった。
ミッチナーは『南太平洋』、『トコリの橋』のベストセラー作家だが、『センティネル』以後は何も書かなくなった。ひどい不評だったので作家を廃業したのかも知れない。
19世紀に長い芝居を書いた劇作家に、アレクサンドル・デュマ(父)がいる。
息子が『椿姫』を書いたとき、父は『女王マルゴ』を書いた。この芝居は、午後6時に開幕、朝の3時に終わるという大作。
デュマの友人、テオフィル・ゴーチェは、翌日の新聞に書いた。
アレクサンドル・デュマは、ぶっつづけで9時間、観客全員に食事もとらせず、桟敷にクギづけにするという奇跡をおこなった。
(中略)
将来は、はじめにプロローグ、終わりにエピローグつきの、15場の芝居を上演する場合は、ポスターに<お食事つき>と付けたす必要がある。
アレクサンドル・デュマはフランス演劇史に劇作家としての名声を残さなかった。
そのかわり、『モンテ・クリスト』や『三銃士』を書いて文学史に不朽の名をとどめたのだから、人生、何があるかわからない。