多代さんのことは、ほとんど知らない。ただし、私が知らないだけで、案外、世に知られている女性(にょしょう)なのかも知れない。
奥州岩瀬郡須賀村に生まれた。(これがわからない。どこだろう?)
市原氏。夫と死別したのは、三十一歳。女ざかりで、やもめになったという。
文政6年、江戸に出た。
亡くなったのは慶応元年(1865年)8月20日。享年、93歳。
自選の句集、『晴霞集』がある。
江戸に出てから幕末の物情騒然たる時代を生きて、当時としてはたいへんに長寿だった女性。そんな、多代さんの身の上、境遇をもう少し知りたい。
とりあえず多代さんの句をかきあつめて、紹介しておこう。
夕ばえや こころのひまに 帰り花 多代
木の間もる 日のはつはつや 八ツ手咲く
垣くぐる 日はつれなくも ツワブキに
水仙や 根はつつまれて 市へ出る
菰(こも)かけて 一夜越しけり 積大根(つみだいこ)
画讃、追悼句なども挙げておく。
少将のすがたは 雪に立つ かかし (画讃。深草の少将だろう)
どの坂も 小春ならざる木蔭なし
おもひ入 枯野を けふ(今日)の 障子こし
折からの しぐれも聞くや 板ひさし(庇)
目になれて 明け暮れもなし 枯すすき
だいたい自然詠がいい。ただし、「日はつれなくも」は、尊氏の名歌、芭蕉の名句があるだけに、むずかしいところ。「水仙」は下五が気に入らない。
もう少しきびしく見れば――「少将」の句の滑稽が「あはれ」にならないのが残念。
「どの坂も」は二重否定がうるさい。しかし、「枯すすき」など、このひとの落ちついた句境が偲ばれる。羨ましいねえ、こういう女性(にょしょう)は。
師走。江戸の女流の俳句を、二、三句づつあじわう。ほかに楽しみもない老残の身にしては風雅な趣き。エヘヘヘ。