師走。
毎年のことだか、年の瀬はなにかと気忙しく、ろくに本も読めない。いまの私は、少しおかしなテーマで、少し長いものを書いているので、どうも心の余裕がない。
そういうときは、俳句を読む。まったく知らない人の句を。
三弦も 歌もへたなり 年忘れ 多代
こういう句はいい。人並みに三弦や歌を修行してきた。しかし、とても上手の域に達したとはいえない。そして、今年もいつしか年の瀬を迎えてしまった。
もっとも、たいして才能のない自分を悲しんでいるわけではない。むしろ、三弦や歌をつづけてきたという、女としての艶冶(えんや)な気分がある。いいなあ。
内蔵に 餅のこだまや 夜もすがら
これは、中の「餅のこだま」が大仰て、あまりいい句ではない。しかし、もう年も押し迫って、夜もすがら餅をついて、さざめきあっている風情がいい。冬の句だけでも、
あら川の 音に添ひゆく 時雨かな 多代
吹きゆれし 木に鳩鳴くや 夕時雨
這出して 時雨にあふや 藪の蟾(ひき)
たぎる湯に 取りあふ竹の 時雨かな
リンドウのなりも崩さず はつ時雨
ききふるす 萩にまた聞く しぐれかな
いずれも自然詠ながら、女性らしい内面を想像させる句が多い。
加賀の千代の句と並べてみれば、多代の、気負いのない句のゆかしさが納得できよう。
日の脚に 追はるる雲や はつ時雨 千代
京へ出て 目にたつ雲や 初時雨
晴れてからおもひ付きけり 初時雨
千代女の句はどこかさかしげで、どうも好きになれない。
私はあまり好き嫌いのないほうだが、たとえば、森田 たまの随筆、芝木 好子の小説が大きらい。こんな連中よりは、千代女のほうがまだマシなのだが。
多代さんは加賀の千代ほど有名な俳人ではない。というより、まったく無名の俳人なのだろう。
(つづく)