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ドイツ映画祭。
カイ・ヴェッセル監督の「ヒルデ」(’08年)を見た。すばらしい映画だった。
映画のヒロインは、戦後、ドイツ映画に登場した女優、ヒルデガルド・クネッフ。
戦時中にバーベルスベルク国立映画学校で学んで、ナチの有力者と恋愛し、映画女優としてデビューした。やがて、ソヴィエト軍がベルリンに侵攻したとき、前線で銃をとって戦ったが、捕虜になり、収容所に入れられたが脱走。
戦後、舞台女優として再起し、敗戦後のドイツ映画界を代表する女優になる。しかし、ナチスとの関係をうたがわれて、ドイツ映画界を去り、ハリウッドに移ったが、プロデューサー、セルズニックに冷遇される。
ふたたびドイツ映画に復帰し、やがてまたハリウッドで成功する。
私は、「題名のない映画」(47年)、「罪ある女」(51年)でヒルデガルド・クネッフを見たのだった。

映画のあとで、カイ・ヴェッセル監督がステージで、観客の質問をうけ、それに答えたが、その応答に監督の誠実な人柄がうかがえた。
このとき、私には質問したかったことが一つあった。

カイ・ヴェッセル監督は、映画女優、ヒルデガルド・クネッフの映画には、残念ながら、見るべきものがないと語ったのだった。(たとえば、ジャンヌ・モロー、アリダ・ヴァリ、マリア・シェルなどと比較して)私もそういう気がしないでもないのだが、それでも、「題名のない映画」、「キリマンジャロの雪」などのヒルデガルドにはつよい印象を受けた。カイ・ヴェッセルは、「題名のない映画」にまったく関心を見せないのだが、その理由はなぜなのか。

むろん、私は質問をしなかった。素晴らしい映画をみたという感動のほうが大きかったからである。

そういえば――カイ・ヴェッセルさんは、若い世代の監督だから、たぶんご存じないだろうと思う。戦前の日本で、「題名のない映画」という映画が公開されたことを。
ドイツ/トービス映画。監督はカール・フレーリヒ。シナリオは、女流脚本家のテア・フォン・ハルボウ。主演は、アドルフ・ウォールブリュック。相手の女優は、新人のマリールイーゼ・クラウディウスだった。
私の読者のなかには――アドルフ・ウォールブリュックの名に聞きおぼえがある人もいるだろう。この1937年、ドイツ/シネ・アリアンツ映画で、ウィリー・フォルスト監督の「ひめごと」Allotria に主演している。女優は、レナーテ・ミューラー、ヒルデ・ヒルデブラント。この映画にはウィーンの濃密なエロティシズムがみなぎっていた。
アドルフ・ウォールブリュックは、はるかな戦後、マックス・オフュールスの映画、「輪舞」の狂言まわし、「赤い靴」でモイラ・シャーラーが所属するバレエ団をひきいる団長を演じたアントン・ウォールブルックである。
彼は、ヒトラーと同名であることを恥じて、アントンと改名したのだった。

今でも思い出す。ウィリー・フォルスト監督の映画、「題名のない映画」はまったく評判にならずに消えてしまった。なにしろ、おなじ時期に、日本ではジャック・フェーデルの「鎧なき騎士」、ジュリアン・デュヴィヴィエの「舞踏会の手帳」、アメリカ映画でも、チャップリンの「モダン・タイムス」、ディアナ・ダービンの「オーケストラの少女」などがいっせいに公開されようとしていた時期である。

もはや、だれの記憶にも残っていないトリヴィアだが。