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一連のドラマが起きて、多数の「群像」の織りなす運命がめまぐるしく交錯する「場」が、いきなり私たちの前に展開してゆく……。
ドラマは、「1833年夏」からはじまって、「1833年夏」(第二場)、「1833年秋」(第三場)というふうに、時制によって進行してゆく。
通しで見ると、9時間。役者もたいへんだが、見るほうもたいへんな芝居である。
はじめのうち、長さはべつに気にならない。
このドラマが、歴史劇として書かれていることはわかるけれど、だんだん、あとになって、こうした区分がうるさくなってくる。たとえば、第二幕は「1833年 3月」からはじまっているが、これが、デカブリスト反乱から9年後ということに気がつく観客がど
れだけいるのだろうか。
そんなことから、作者、トム・ストッパードのドラマトゥルギーに対するいくらかの疑問として、私の胸にきざしはじめる。……
『ユートピアの岸へ』第一部は、VOYAGE (船出)という副題をもつ。登場人物は、誰もが未知の「向こう」に向かって旅立とうとしている。
だが、未決定の「向こう」に旅立つというそれぞれの決意には、「心おきなく旅立つことのできるための物語」という要因も必要だったのではないか。
やがて、このドラマの中軸となるゲルツェンの親友、オガリョーフは、まだ、このドラマのはるかな地平にわずかに姿を見せるにすぎない。
3年後。「1836年 8月」(第五場)、ベリンスキー(池内 博之)が登場する。後年、「凶暴なヴィッサリオン」と形容されるロシア批評の先駆者も、ここではイヌに吠えられてころんだり、ドジばかりのヴォードビリアンにすぎない。
ストレートな舞台で、スラップスティックじみた芝居をするのは、それほどむずかしいことではない。(ほかにもおなじようなドタバタ喜劇を見せた役者がいる。)しかし、これが、「わが国には文学はない」とか、ロシアは自分の汚物にまみれた隷属と迷信の大陸などと、ご大層な熱弁をふるう若者であれば、話は別になる。池内 博之は、スラップスティックはあまりうまくないが、若者のロシア的な狂熱ぶりをよく出している。
つぎの場が、「1836年 秋」。夏の朝まだきから、あのロシアの蕭条たる秋にうつるのだが、舞台には美しい娘たちがでてくる。
リュボーフィ(紺野 まひる)、ヴァレンカ(京野 ことみ)、タチアーナ(美波)、アレクサンドラ(高橋 真唯)たちが。
リュボーフィは、やがて、ニコライ・スタンケヴィッチと、タチアーナは、イヴァン・ツルゲーネフと。だが、まだだれひとり、自分を待ち受けている運命を知らない。
1847年、ゲルツェンは妻子とともに、パリに亡命。(『ユートピアの岸へ』では、第一部、11場で言及される。)
この舞台を見ながら、ふと、日本はどういう時代だったのかと考えてみた。おなじ時代に、為永 春水が筆禍に遭い、頼 山陽、柳亭 種彦が亡くなっている。そして、大塩 平八郎の乱が起きている。
日本もまた激動の時代を迎えようとしていた。……