若い頃に読んだ本を読み返している。
私は何を理解したつもりでいたのか。苦い思いがこみあげてくる。
たとえば、モンテーニュ。
はじめてモンテーニュを読んだのは戦後すぐだったが、当時の私は何も理解しなかったはずである。はじめから理解できなかった。まるで、おもしろくなかった。
ひとりごとをいうことが気違いの態度でなければ白状するが、私は自分に向かって、「このバカやろう」とどならない日は一日だってない。けれども、これが私を定義するなどというつもりはない。
今の私なら、自分に向かって、青二才のくせにモンテーニュを読んで、おもしろくなかったなどとホザきやがって「このバカやろう」とどなってもいいところだが。
40代になってから、もう一度、モンテーニュを読みはじめた。
ほんのわずかだが、モンテーニュのいうことがわかりそうな気がしてきた。
今頃になって読み返してみると、モンテーニュの偉大さが、昔よりもずっとよくわかってくる。
中田 耕治なんて、まったくどうしようもないアホウだなあ。
神様は、われわれに引っ越しの用意をする暇をお与えくださっているのだから、
その準備をしよう。早くから友人たちに別れを告げておこう。
いつの日にかこんなことばが、ごく自然にいえるようになりたいと思う。