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最近、見つけた「週刊朝日」(1945年9月2日/9日号)。A4判、32ページ。定価、六十銭。(3月18日号)が、20銭だったのに、この号は60銭にあがっている。敗戦直後から、狂乱物価が庶民の生活を直撃する。

表紙は、佐藤 敬。何かの植物を背にして、ワンピースを着た女性。それほど若くはない。バスケットをかかえている。表情はうつろ。バスケットの中にはリンゴが数個並んでいる。「リンゴは何にもいわないけれど、リンゴの気もちはよくわかる」ということなのか。
この号が、9月2日/9日の合併号になっていることからも、敗戦後の混乱が読みとれる。アメリカ軍の第一次進駐部隊の一番機が、厚木基地に着陸し、マッカーサー元帥が日本本土に降り立ったのを見届けて――緊急に編集会議が開かれて、それまでの戦時色を一掃する編集方針がきまったのだろう。
巻頭論文は、第一高等学校校長、安倍 能成の「日本の出発」。

一億玉砕といふ恐ろしい詞がつい今しがたまで軽易に繰返された。併し日本は敗れて敵の申出を受諾した。それも屈辱を極めた受諾であった。

という書き出し。安倍 能成は、これより後、「平和日本」の出発にかかわってゆく。

つぎのぺージは、「この悲劇乗り越えん」と題した社説のごとき文章。

終戦議会――我々国民が嘗て夢想だにしなかった運命的な日はやってきた。

という書き出し。
清瀬 一郎のエッセイは、

わが国は新しき政治に進発しなければなりませぬ。しかもそれは極めて根本的の出直しであることが必要であります。

なぜ敗戦したか、まずふかく反省せよ、という論旨。そして、このなかで、原子爆弾の使用は戦争犯罪なり、とする。このエッセイを書いた清瀬 一郎は、やがて日本の戦争指導者をさばく東京裁判で弁護人をつとめる。
(つづく)