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 こんなことは書かなくてもいいのだが――ひょっとして、気がつく人がいるかも知れない。

評伝『ルイ・ジュヴェ』を書いていた頃、私はジャーナリズムから離れていた。ごくたまに原稿を書いたが、それもルイ・ジュヴェのことを書く程度だった。

「キネマ旬報」に頼まれてエッセイを書いたが、これも、もはや忘れられている俳優、ルイ・ジュヴェについて書いたものだった。
編集部が「女だけの都」(ジャック・フェデル監督/1935年)の写真を掲載したが、ルイ・ジュヴェは出ていない。どうやら「太公」のジャン・ミュラーと、ジュヴェの「従軍僧」を間違えたらしい。
私は、訂正を申し込むこともしなかった。高級な映画雑誌の編集者でさえ、ジュヴェを知らないのだから、訂正したところで意味はない。

『ルイ・ジュヴェ』が出版された頃、「映画史100年ビジュアル大百科」というムックが、継続的に出版された。たとえば、1910年は、フローレンス・ローレンスという女優が、カール・レムルのトリックで、アメリカ映画最初のスターになった、とか、1917年は、女優セダ・バラが大作「クレオパトラ」に出演、バスター・キートンがスクリーンに登場、といった記事が満載されている。
出版社は、こういうシリーズをつぎからつぎに企画しては出してゆく、「デアゴスティーニ」。

その1920年号に、ヴィクトル・シェーストレームの映画、「霊魂の不滅」がとりあげられている。この原作は、セルマ・ラーゲルレフで、山室 静さんが訳していたはずである。
この映画の1シーンが出ている。

よく見ると、ヴィクトル・シェーストレームの「霊魂の不滅」ではない。
ジュリアン・デュヴィヴィエがリメークした「幻の馬車」(1939年)の1シーンで、主人公のダヴィツド(ピエール・フレネー)が事故で倒れて、魂が離脱している。その幽体離脱を凝視している「馭者」は、なんとルイ・ジュヴェなのである。

編集者は、ヴィクトル・シェーストレームの「霊魂の不滅」も、デュヴィヴィエの「幻の馬車」も見たことがなくて、ステイル写真を見て、1920年号の「霊魂の不滅」と思い込んだに違いない。

こんな間違いはどうでもいいのだが、将来、この「映画史100年ビジュアル大百科」を信頼して、ルイ・ジュヴェの「馭者」をヴィクトル・シェーストレームの「馭者」と間違える人が出てくるかも知れない。

それに対して、私が異議を申し立てていたことは記録しておこう。