この夏、アメリカの「リーダーズ・ダイジェスト」が、16億ドルの債務を株式化することで、主な債務者と合意した。つまり、連邦破産法の適用を申請することになった。(’09,8.18)
ようするに、広告収入や、販売部数の落ち込みがつづいて、経営の建て直しができなくなったらしい。
戦後、日本でも「リーダーズ・ダイジェスト」日本語版が発行された。薄い雑誌なのに、そのときそのときのベストセラーや、いろいろな雑誌、新聞の記事の要約などが満載されていた。
はじめのうちはものめずらしさもあって驚異的な売り上げを見せたが、やがては飽きられて、1986年に日本語版は廃刊された。
私はこの雑誌をほとんど読まなかった。
どのページを読んでも、まったくおなじレベルで、ごく平均的な、わかりやすい文章がならんでいる。したがって、嫌悪の眼をむけていたといっていい。
「リーダーズ・ダイジェスト」なのだから、読者は、日頃、多忙な生活を送っていて、本を読む時間のない人なのか。そういう人が、その時その時に読まれている本の内容を手っとり早く理解できるようにダイジェストしてある。
そのかわり、その文章に、いきいきした感じ、あるいは真実味といったものは、まったくない。
どんな本も、のっぺらぼうな顔つきで、せっかくいいことが書いてあっても、それぞれの内容に感動することがなかった。
どのページを読んでも、アメリカの低いレベルのプラグマティズムを見せつけられるような気がした。そして、これまた低い次元の、保守主義の偽善がどのページにも立ち込めている。
21世紀のアメリカは、アフガニスタン攻撃から、イラク戦争、そしてこの「戦後」を経験してゆくなかで、「リーダーズ・ダイジェスト」が読まれなくなって行ったのは当然ともいえるだろう。そのイデオロギーが、時代の流れとズレてきた雑誌は、かならず没落してゆく。
日頃、多忙な生活を送っていて、本を読む時間のない人に、そのときどきに読まれている本を紹介する。これは必要なことかも知れない。
しかし、「リーダーズ・ダイジェスト」のように、ダイジェストしたものを読む必要はない。
もし、「リーダーズ・ダイジェスト」を読むのとおなじ程度の時間的な余裕がある人は、本屋に行って、ベストセラーを手にとって、1ページでもいいから、立ち読みすることをすすめる。
「リーダーズ・ダイジェスト」には申しわけないが、ダイジェストされた本からは、ほんとうのおもしろさはすべて落ちていると思ったほうがいい。ベストセラーは、かならずおもしろいことが書いてある。そして、著者は、読者の興味をそそったり、効果的な要点をみごとにとらえている。
ベストセラーの作者はいきいきした書きかたをしている。活気がある。
だから、書き出しの数行を読むだけでもよい。その本のおもしろさは、冒頭の数行を読めばわかる。つぎつぎに、ベストセラーを手にとって、数行を読むだけでは、まったく意味がないけれど――その数行を、それぞれ比較してみるだけでも、頭の訓練になる。
そうすれば、きみは、さしあたって読む必要のある本か、読まなくてもいい本なのか、自分で判断できるようになる。
そして、ベストセラーは、少なくとも一年以上経ってから読む。
「リーダーズ・ダイジェスト」破産のニューズから、私が考えたこと。