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戦後になって、最初に見たアメリカ映画は、「春の序曲」His Butler’s Sister(フランク・ボゼージ監督/1943年)だった。アメリカ占領軍が対日占領政策の手段として、ハリウッド映画の公開を押し進めたからである。
当時の私は、アメリカ映画が見られるというだけでうれしくなって、占領軍の占領政策の一環などということは考えもしなかった。

「春の序曲」といっしょに公開された映画は、「キューリー夫人」Madame Curie(マーヴィン・ルロイ監督/1943年)だった。原作は、キューリー夫人の娘、イーヴ・キューリーが書いた伝記。
グリアー・ガースン、ウォルター・ピジョンの主演で、私たちは、戦後、はじめてグリアー・ガースンという美女を見たのだった。

アイルランド生まれで赤髪とくれば気が強いのが通り相場だが、その気の強さを
内に秘めての演技が努力して初志をつらぬく女性の役にぴったりだったわけで、
同じアイルランド産の赤髪で強気を表面に出して人気をえたモーリーン・オハラ
といい対照である。

と、双葉 十三郎が書いている。(「美男美女変遷史」1976年)

この2本の映画は、1946年2月28日に同時に公開された。

アメリカ占領軍の指令が、つぎつぎに軍国主義国家「日本」を解体して行った時期で、治安維持法、特高警察が廃止され、兵役法も消えた。女性解放、学校教育の民主化。とにかく、ありとあらゆるものが激動にさらされていた。
そういう時期に、アメリカ映画の「春の序曲」と「キューリー夫人」が公開されたのだから、娯楽に飢えた民衆が殺到したのも当然だろう。
「春の序曲」と「キューリー夫人」については、当時、じつにたくさんの人が感想を書いている。

「春の序曲」のなかで、ディアナ・ダービンが、ショートケーキを食べる。そのケーキのデコレーションの綺麗なこと、ケーキの大きさに、観客は息をのんだ。
当時の観客たち誰ひとり見たこともない種類の食べものだった。
そのケーキを若い娘がペロリと食べている。劇場じゅうがどよめいた。

私たちは娯楽に飢えていた。が、それ以上に食料に飢えていた。
敗戦国民の哀れな姿を――きみたちは想像できるだろうか。
(つづく)