1092

この夏いろいろと読み散らしていて、こんな記事を見つけた。

東京音楽学校の主任教授たるアウグスト・ユンケル氏は、今回、普国政府よりプ
ロフェッサーの称号を授与せられたり。王国楽長が、氏の日本に於ける功績に対
し此の表彰をなしたるは、真に其の当を得たるものにして、元来ユンケル氏は、
独逸音楽を日本に紹介し、之が普及に与(あずかっ)て力ある人にて、今現日本
に於ける外国音楽中、独逸音楽が最も流行せるは、全の氏の功績という謂はざる
べからず。而(しか)して吾人の見る所にすれば、殆ど見込なき日本人の音量を
助成し、且つ彼らに難解なる独逸音楽を巧に教授せる技倆は、実に驚嘆に値すべ
きことなり。目下、東京音楽学校には氏の外に、尚ほ二名の独逸人、及び一名の
独逸婦人、教鞭を執り居り、彼等の催す声楽、並に器楽演奏会は、啻に日本在留
の外人に歓迎せらるるのみならず、実に我独逸本国に於ても模範的のものに匹儔
せるものなり。猶ほ近時数名の日本人は音楽研究のため独逸国に留学し、多くは
伯林(ベルリン)に滞在して、吾人には殆ど音楽と認むること能はざる日本音楽
と欧州音楽、特に独逸楽譜とを結合して、両国人に興味を以て迎へらるべき和洋
折衷楽を構成せんと企てつつあり、ユンケル教授も之れに関し大に貢献する所あ
りたり。

原文は、ドイツの新聞記事。明治44年9月。

普国政府とあるのは、プロシャの政府。
「吾人には殆ど音楽と認むること能はざる日本音楽」というあたりに、アジアに対するヨーロッパの侮蔑が響いているだろう。ここでは不問に付してやるが――ユンケル教授や、当時、音楽研究のため独逸国に留学した「数名の日本人」たちが、今年の夏、小沢征璽の音楽塾のプロジェクトを聞いたら卒倒するかも。

小沢 征璽は、この夏、音楽塾のプロジェクトとして、フンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』を各地で巡演した。
彼自身も、はじめてこのオペラを指揮したらしい。
おなじ、この夏、「サイトウ・キネン・フェステイヴァル」では、ベンジャミン・ブリテンの『戦争レクィエム』をふった。この曲を指揮したのは24年ぶりという。

明治44年(1911年)から百年。日本人の音楽家が外国の曲を指揮して、いささかも遜色を見せない。私たちも、そのことをすこしも不思議に思わない。
そんな現実が、私にとってはたいへんにありがたいことに思える。