若い頃一度見ただけで、それっきり見る機会のなかった映画がビデオになっている。
熱心に探していたわけでもない。掘り出しものといえるほどの作品でもない。それでも、見つけたときはうれしい。そういう経験は誰にもあるだろう。
少年時代に神田の「シネマパレス」で見た外国映画
を、いまここでDVDで見る。米、独、仏の名作映
画です。これは不思議きわまることだし、また大き
な楽しみでもある。
詩人の加島 祥造が書いていた。『老子までの道』(「幽霊坂の話」)
私も、神田の「シネマパレス」で外国映画を見たひとりだが、加島 祥造の書いていることが実感としてよくわかる。ただし、私が見た映画は、ほとんどDVD化されていないような気がする。残念なことだが。
戦後まもなく、(「シネマパレス」で見たわけではなかったが)「拳銃無宿」 Angel and the Badman(47年)を見た。主演、ジョン・ウェイン。共演は、ゲイル・ラッセル。
ジョン・ウェインは、いうまでもなく、西部劇の大スター。この「拳銃無宿」に出た当時は、まだ大スターではなかった。映画も「リパブリック」だったから、B級もいいところ。ただし、ジョン・ウェインはじめてのプロデュース作品。
まあ、そんなことより、ゲイル・ラッセルを見ただけで、私にとっては貴重な映画になった。
ゲイル・ラッセルは、戦後になってはじめて見た女優だった。この映画と前後して、「桃色の旅行鞄」Our Hearts Were Young and Gay(44年)を見たが、これで彼女にイカれた。
容貌はアイダ・ルピノに近い。美貌といっていいが、アイダのように「妖婦」的、ヴァンプ的なところがない。どこか、もろい(フラジャイル)ものを感じさせた。眼に特徴があって、ずっと後年のオルネラ・ムーテイが、ゲイルのまなざしに近かった。
おなじ時期に、ゲイル・ストームという新人が登場する。「五番街の出来事」という喜劇に出ていた。しかし、ゲイル・ストームの映画はほとんど見る機会がなかった。50年代後半から、TVのコメデイ・シリーズや「ゲイル・ストーム・アワー」などで人気があった。
わざわざ「五番街の出来事」のビデオを探して見直したが、私が好きだった女優はこういう女優だったのか、と思った。はっきりいえば失望したのだった。
そして、もうひとり。グローリア・デ・ヘヴン。
グローリアは映画にはほとんど出なかった。ブロードウェイの舞台から、やがて、ラス・ヴェガスなどのショーで成功する。だから、映画のグローリアをほとんど見ていない。後年、「ゴッドファーザー」で、アル・パチーノが、ヴェガスに乗り込むシーンに、グローリア・デ・ヘヴン出演の大きな看板が出ていて、なつかしい気がした。グローリアは、ラス・ヴェガスきっての大スターになっていた。
はるか後年、私はゲイル・ラッセルについて短いモノグラフィーを書いた。
ある日、虫明 亜呂無が私をつかまえて、
「ゲイル・ラッセルとは、なつかしいですねぇ」
といった。
私は、虫明 亜呂無が私の雑文を読んでくれたことがうれしかった。そして、私以外にもゲイル・ラッセルをおぼえている人がいたことが、何よりもうれしかった。
ゲイル・ラッセル、私の内部に暗い輝きを放っていた女。そして、彼女もみずから悲劇的な死を選んだスターのひとり。