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わざわざ映画館に行って映画を見る。そんなこともなくなってしまった。

映画が斜陽産業化した原因はいろいろとあるはずだが、いつ行っても映画が見られる場所ではなくなったことも観客の減少を招いたのではないか、と思う。
ちょっと時間ができた。どこかで時間をつぶす。そんなとき、近くの映画館に飛び込んで、もう始まっている映画の途中から見る。
途中から見るのだから、映画のストーリーもよくわからない。あれよあれよという間に、映画か終わって、休憩時間をおいてから、もう1度、最初から見直す。やっと映画の内容がわかってくる。頭のなかで、ストーリーをつなぎあわせて、けっこう満足して映画館を出る。もう、あたりはとっぷり暮れている。
そんな経験は誰にもあったはずである。

いまは、映画を見ようと思うと、上映時間前にチケットを買って、10分ばかり前から館内に入れられる。席がきめられているので、押しあいへしあいして席をとりあう必要はない。しかし、映画館で映画を見るときの、うきうきした気分はあまりない。
映画館ですわれるのはいいが、ガラガラにすいているのは哀れとしかいいようがない。

だから、映画言うものは、家族中で見に行ったものです。小僧さんたちは仕事が
あって行けない。八百屋さんもいかれないけれども、家をしめたら、九時から映
画見に行こうといったものですよ。お風呂へ行くみたいなつもりで。だからお風
呂屋のバケツを持って見にいきましたよね、「一本見られるでえ。今から」言う
て。それに九時からは割引きがあったんですね。バケツに手拭い入れて見にいき
ましたなァ。そのくらい、みんなに映画というものが親しかったんですね。

淀川 長治さんの少年時代。私の少年時代でもこれはおなじ。こうしたアンチミテは、もはやどこの映画館にもない。思えば、幸福な時代でしたナァ。(笑)

「エー、おせんにキャラメル。ラムネにイカはいかが」