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敗戦直後の日々。日本人が、どのように敗戦の痛苦をうけとめたか。もはや、思い出すこともむずかしい。
敗戦から一年。まだ、日本は惨憺たる状況にあった。食糧難が、生活をおびやかしていた。当時の短歌を読んでみた。
その優劣を問わず、いくつかをここにあげてみよう。すべて、1946年夏までに詠まれたもの。

山峡にひそと棲みつつ国々に散りたる友をおもふ今宵も    橋本 徳寿

幾度か防空壕に出入りせし去年の夜半の想ひたへ難し     瀬頭 聡子

戦いの激しかりし世に生きあひてわれは十九の命つなげり   南 晴彦

荒地野菊たけて荒れたる疎開跡終戦の日に此処は毀たれぬ   小川 初枝

ほしいままに草たけし原に木製の戦車の残骸見るに堪へなく  伊東 良平

友に逢ひて話すは友の事なりき彼の友も亦彼の友も亦無駄死をしき 松本 清

爆破されし工場の細部映りゆくかく見る既に感傷もなく    小暮 政次

ためらはず兵器毀つに明治三十七八年の鹵獲銃もあり     大久保福太郎

陸にありて米国製レーション海にして英国船レーションに命つなぎき 新海 五郎

つつがなく食ひて生きゆく事の外今の我は何も考へず     吉田 正三

乏しきに堪へむと思へど幾日かも主食の糧はつきはててけり  岡田 花明

サイゴンの米を食ひたり復員の伯父が持ち来し細長き米    南 一郎

四年ぶり復員したる吾が兄は父の墓辺に黙し立ちたる     大野 文也

闇市に偶然遇ひし我が友は戦闘帽かぶり古靴を売る      加藤 信夫

石鹸を並べし下の大き箱に紙幣うずたかし反故のごとくに   茅上 史郎

難民とはかくの如きか犇めきて人はここにも列車に迫る    町山 正利

満員の電車の中に横ざまになりたるままに終点に来ぬ     高橋 治純

焼跡に残る家居のくろぐろとひとくぎりあり麦は生ひ立つ   新田 澄子

土手外の一劃焼けず残りたり映画館ありて人の群がる     斉藤 広一

焼け跡の日でりの中を歩み来て映画にいたく昂りて居り    増方 作次良

東京の女の身なり派手なるを見つつぞおもふ何食ひてゐむ   大石 逸策

兵舎跡に学ぶ女医専生徒らは下駄ばきのまま授業受けおり   国崎 行夫

新しき教に障る書物焼きぬ汗ばむ胸に焔迫りて        市毛 豊備

あまりにも貧しき装幀を打ち見つつ敗れし国のうつつをぞ識る  橋本 堯

焼けし町焼け残る町つらぬきて広き舗道の夕映え明し     斉藤 正二

中庭に麦のみのりし昼過ぎの日比谷公園に我は来て見つ    御船 昭

戦の終りたる日の近づきて暑き日暮に蜩なくも        渡辺 清

敗戦後、一年の凄まじい様相が、こうした短歌からいくらか想像できる。

現在の私にしても、これらの短歌を読んでさまざまなことに気がつく。たとえば、原爆に関して誰ひとり言及していないこと。これは、おそらく、検閲による。なぜなら、このテーマ(原爆)は、アメリカ占領軍がもっとも警戒して問題だったはずである。
そしてまた、思想上の論点としての、核の廃絶など、まったく歌詠む人たちの意識になかったこと。
少なくとも、敗戦直後に、清瀬 一郎が原爆投下を人倫上の戦争犯罪と見た視点などは、これらの戦後詠にはまったく存在していない。

ついでにふれておくが――これらの名もなき民草の短歌は、『昭和万葉集』なるものに一首も収録されていない。