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マリリン・モンローの初期作品、「ふるさと物語」(アーサー・ピアソン監督/1951年)は日本では公開されなかった。
DVDで出ているので、はじめて見た。愚作。

カヴァーに――マリリン・モンロー出演、日本未公開作品! と出ている。

ストーリーを紹介するのもバカバカしいが――州議会選挙に敗れて上院議員をやめた「ブレイク」は、故郷の小さな町に戻ってくる。婚約者は、小学校の先生をやっている。
「ブレイク」は、彼女の伯父がやっていた小さな新聞「ヘラルド」の編集長になる。

故郷の町では、軍需産業で成功した地元企業が、廃水を川にたれ流しているため、汚染がひろがっている。「ブレイク」は新聞に書きたてて、企業の責任を追求しはじめる。
たまたま、小学校の先生に引率されてこの企業の銅山の廃坑を見学に行った「ブレイク」の幼い妹が、落盤事故にぶつかって・・

主演のジェフリー・リンは、戦前に登場したB級スターで、「すべてこの世も天国も」(40年)、戦後は「三人の妻への手紙」(49年)などに出ている。タイプとしては、フランチョット・トーンにちょっと似ているし、レイ・ミランドにもなんとなく似ている。しかし、この映画のジェフリーはまるで冴えない。
婚約者になる女優さんはジーナ・ローランズ・タイプ。むろん、ジーナほどの迫力も演技力もない。
地元企業の経営者は、ドナルド・クリスプ。「我が谷は緑なりき」(41年)、「ナショナル・ヴェルヴェット」(44年)などで、私たちにも知られている。この映画でもさすがにクリスプらしい味は見せているが、それでもたいした映画ではない。

さて、マリリン・モンローだが、この映画のマリリンもまるで魅力がない。
出ているシーンは5カット。
マリリンになぜ魅力がないのか。それは、監督がマリリンの、特徴にまったく気がついていないため。マリリンに何ひとつ芝居をさせなかった。セリフもあるにはあるのだが、田舎の新聞社につとめている女の子というだけで、何ひとつ「しどころ」がない。ようするに、演出家が凡庸で、マリリンをただ平凡にしか見せていない。つまり、この監督は何ひとつ見ていないのだ。

この時期のマリリンは、すでに「アスファルト・ジャングル」(50年/ジョン・ヒューストン監督)に出ている。映画監督は(検閲をたくみにかわしながら)マリリンに初老の実業家の「情婦」を演じさせていた。そして「イヴの総て」(50年)のマリリンは、まるっきり才能のない女優を演じていた。この2本のマリリンは、若い女優らしい香気(フレグランス)を放っているが、「ふるさと物語」のマリリンは、ただの平凡な女の子にしか見えない。
才能のない映画監督に使われる女優ほどかわいそうなものはない。

この映画に出たあとのマリリンは、「夜のうずき」(52年)、「人生模様」(52年)、「モンキー・ビジネス」(52年)、「ノックは無用」(52年)などに出ている。
マリリンは、チャールズ・ロートンを相手に娼婦を演じた「人生模様」がもっとも美しいが、全体としては、「ナイアガラ」(52年)までの、さまざまなトライヤル、試練の年だったはずである。

ある女優にとって、まだ無名の頃に出た映画はどういう意味をもつものなのか。無名のマレーネ・ディートリヒは、グレタ・ガルボのはじめての主演映画、「喜びなき街」にガヤとして出たことに終生ふれなかった。だが、私はこの「喜びなき街」に出た無名のディートリヒの姿をけっして忘れない。

「ふるさと物語」の映画監督、出演者、スタッフのだれひとり、わずか5ケ所のシーンに出ただけの女優が、1年後に世界的なスターへの道を歩みはじめるとは思っても見なかったにちがいない。

このへんに、当の女優たちもまともに考えなかった問題があるのではないだろうか。