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あなたはイヌ派。それとも、ネコ派。
よく、そんなことを訊かれた。

私の場合はひどく簡単で、人生の前半分はイヌ派。後半は、ネコ派。

最後に飼ったイヌが思わぬ事故にあってから、ネコを飼った。その頃から、小説を書くようになった。当時、ハヴァナに住んでいたヘミングウェイが23尾のネコを飼っていると知って、23尾はとても無理だが、2、3匹なら飼ってみよう、と思った。
ある日、小川 茂久につれられて、中村 真一郎のところに行ったことがある。そろって大柄で美しいネコが、たくさんいたので羨ましい気がした。
そのうちにネコがふえて、最後には13尾も飼うことになってしまった。半分は、和ネコの雑種。半分はアメリカ産だった。

作家志望者はネコを飼ったほうがいい。オルダス・ハックスリがそういっている。私は、オルダスの意見に賛成する。
ネコというやつが、毎日、どういうふうに生きているか。というより、どういうふうに寝てばかりいるか。なぜ、そんなに眠ってばかりいるのか。とにかく、毎日、あきれながら、見ていてあきない。

動物学者の日高 敏隆先生が書いている。

「しかし、最近は、いってみれば「猫」を通じて環境を知ろうと言うような研究や教育のアプローチが盛んだ。それでいいのだろうか。大事なことはまず、猫はどんな動物か、犬とどう違うかを具体的に知ることではないだろうか。」

そこで、ネコはどうして「ネコ」なのか、そこが知りたかった。

「ねこまノ下略。寝高麗ノ義ナドニテ、韓国トライノモノカ、上略シテ、こまトモイヒシガ如シ。或云、寝子ノ義、まハ助詞ナリト、或ハ如虎(ニョコ)ノ音転ナドイフハ、アラジ」

大槻 文彦先生の「言海」から。

「猫(鳴き声に接尾語コを添えた語。またネは鼠の意とも)」

これは「広辞苑」による。在来種の和ネコは、奈良時代に中国から渡来したとされる。なるほど、これでは、日高先生のいうように、「猫はどんな動物か、具体的に知ること」が必要だなあ。
大槻先生の「言海」の説明によると、

「古ク、ネコマ、人家ニ畜フ小キ獣、人ノ知ル所ナリ、温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠を捕フレバ畜フ、然レドモ、窃盗ノ性アリ、形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル、毛色、白、黒、黄、駁等種種ナリ、其睛、朝ハ円ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ、陰処ニテハ常ニ円シ」

私はこういう漢文体の文章に畏敬の念をもっている。明治時代に、猫の研究をした人の本をぜひにも探して読みたいのだが。