1057

佐藤 紅緑の長編、『愛の巡礼』(「危機」)に、こんな一節があった。

「昔は髪の毛の長さで女の美醜を判別したものだが、いまでは髪が短いほどモダーンとして愛賞される。其れと同じく貞操なるものも今では何人(なんぴと)も価値を認めなくなった。」

断髪。短く切った女の髪形。肩のあたりで切りそろえたり、後頭部を刈り上げにしたタイプもある。
ボブ・ヘアー。

女優、ルイーズ・ブルックスが、断髪美人の先がけと思われている。ほんとうは、コリーン・ムーアのほうが、ずっと早く断髪にしていた。コリーン・ムーアの自伝、『サイレント・スター』(’68年)に、そのあたりのことが書いてある。

ルイーズ・ブルックスの映画が日本にはじめて紹介されたのは、1926年だが、コリーン・ムーアは、エドナ・ファーバーのベストセラー、「ソー・ビッグ」(1926年)に主演している。(日本では、1934年に<バーバラ・スタンウィック主演のリメイクが公開されている。)
この1926年には、コメデイー、「微笑の女王」が公開されているので、コリーン・ムーアが、大スターだったことがわかる。

佐藤 紅緑は、いうまでもなく、詩人のサトウ ハチロー、作家の佐藤 愛子の父にあたる。私が読んだ『愛の巡礼』は、活動写真から「映画」になった時代の映画界のインサイド・ストーリーとして読める。ただし、あくまで通俗小説。
『愛の巡礼』といっしょに、『半人半獣』という、やや短い長編が入っている。

佐藤 紅緑は、ある時期まで演劇人といっていい経歴をもっている。この『半人半獣』も、大正時代の「新劇珍劇トンチンカン劇」という芝居の世界のインサイド・ストーリーといってよい。
この『半人半獣』という題名に、大正時代初期の岩野 泡鳴あたりの影響を見てもいいのだろうか。そんなことを考えた。
たまたま、この1926年に、キング・ヴィダーの「半人半獣の妻」という活動写真が公開されているので、案外、そんなあたりから着想したのではないか。

例によって、私の当てずっぽうに過ぎないのだが。

一つの死語。たちまち思いもよらない連想に私をさそい込む。