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トーキー初期の、ジャック・フェーデルの名作といわれる「ミモザ館」(1935年)を見た。ビデオで。むろん、これまでに何度も見ている。

少年時代に母がよくフランソワーズ・ロゼェの話をしていたので、なぜか「ミモザ館」という題名をおぼえた。
私がこの映画を見たのは戦後になってからで、フェーデルの作品は、「外人部隊」(1933年)、「ミモザ館」(1934年)、「女だけの都」(1935年)と見ることができた。

評伝『ルイ・ジュヴェ』のなかで、マリー・ベル、ジョルジュ・ピトエフに関連して「外人部隊」をとりあげた。ジュヴェのもっとも初期の出演作品として「女だけの都」をくわしく論じている。しかし、「ミモザ館」についてはふれなかった。

なぜ「ミモザ館」を見直す気になったのか。なつかしさもある。昔の活動写真を見たいのだが、なかなか見る機会がない。そこで、トーキー初期の映画を見るのだが、記憶力の減退がひどいので、これまで何を見てきたのかという思いもあった。

1930年代のフランス映画がもっていた独特の雰囲気、あるいはその時代に漂っていた空気、そしてそういう時代に生きていた女の匂い。フランソワーズ・ロゼェを見ながら、あらためてそうしたものをさぐろうとしていたのかも知れない。

この映画にリーズ・ドラマールが出ている。当時、「コメデイ・フランセーズ」の女優で、「ラ・マルセイエーズ」(ジャン・ルノワール監督)で、「マリー・アントワネット」を演じていた。「背信」(ジャック・ドヴァル監督)では、借金のせいで、東洋人に暴行されそうになる女性。ついでに説明しておくと、この「背信」は、ダニエル・ダリューの「背信」(マルセル・レルビエ監督)とは別の映画。
「ミモザ館」のリーズは、やや豊満な肉体で、ギャングのボスの情婦をやっている。

ちょっと驚いたのは、この「ミモザ館」に、若き日のアルレッテイが出ていることだった。いうまでもなく、「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督)の「ガランス」である。まだ、スターになる前のアルレッテイ。

この映画はスタヴィスキー事件のあとで作られている。
この年代のフランス映画がもっていた独特の雰囲気、あるいは時代に漂っていた空気が、「ミモザ館」に直接、反映しているわけではない。しかし、この映画を見ながら、スタヴィスキー事件や、左翼とフランス・ファッショの激突を重ねあわせてみると、やはりこの時代に漂っていた空気に、暗いものがまつわりついていたことがわかる。
この映画を見直してよかった。少なくとも、この時代に生きていた女の匂いは、まぎれもなくフランソワーズ・ロゼェ、リーズ・ドラマール、アルレッテイに見られるような気がするから。

フェイデルの映画を見たついでに、「戦後」のデュヴィヴィエを見よう。私が見たのは「アンリエットの巴里祭」。残念ながら、デュヴィヴィエの才能の枯渇をまざまざと見せつけられた。ダニー・ロバンも、「娘役」としては、「恋路」(ギー・ルフラン監督)のほうがずっといい。おなじ、アンリ・ジャンソンのシナリオなのに、「アンリエットの巴里祭」にない厚味がある。
この映画はルイ・ジュヴェの遺作だが、ジュヴェの様な俳優が出ているのと出ていない差が、若い女優の魅力にも影響しているのか。

このあたり、うまく説明するのはむずかしいのだが。