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(つづき)
進 一男の詩集、『見ることから』の30編、どの一編も、私にはみごとなものに思われるのだが、進 一男は別にむずかしいことを考えているわけではない。
格調の高い詩ばかりが並んでいるわけではない。詩人の夢と、いまは亡き父や、死者たちのこと、ハワイに行くよりも天国に行きたい、という少女や、部屋に飾った小品の「少女裸像」という絵のこと、(おそらく奄美の伝承だろうが)耳が切れた豚、「ミンキラウワア」のことが、美しいことばで、やさしく語られている。
「ミンキラウワア」は、ある種の妖怪で、こいつに股をくぐられると、たちどころに死んでしまうらしい。だから、詩人は、子どもの頃、そこを通るときは股をすぼめて、口をきかずに、急ぎ足で歩け、といわれたという。

しかし 股を潜られた人の話は 一度も聞いたことはない
まして潜られて死んだ人の話も まだ一度も聞かない

という。
きっと詩人も私も、誰も知らない「ミンキラウワア」に股をくぐられた人間なのだ。ほんとうは、たちどころに死んでしまうはずだったのだが、必死にことばを吐き散らして、なんとか遠い道と遙かな時をひたすら歩き続けているのだろう。私も股をすぼめて、口をきかずに、急ぎ足で歩いてきたのではないか。

私もまた、この詩人のように・・「遠い道のりを歩いてきた」のだ。そして「遙かな時間を通り過ぎてきた」(「旅の途中で」)ひとり。
さりながら・・・「過去が忌まわしい過去でないような」ありかたは、私にはない。
戦争という、くそいまいましい「ミンキラウワア」に股をくぐられたために、どうあがいても詩人にはなれない、哀れな人間なのだ。         (つづく)