筈見 恒夫が書いている。
余談だが、私にはジェーン・ワイマンという女優のよさがてんで理解できない。牝ガマめいた容貌もさることながら、その演技だって巧いと思ったことはいちどもない。容貌が悪くても芸の巧い女優はいるが、容貌が悪いから必ず芸が巧いとはかぎつていない。ワイマンの人気には、こういう錯覚があるのではないだろうか。いや、こういうことは稿をあらためて書かなくては納得してもらえまい。
『女優変遷史』にジェーン・ワイマンが登場するのは、この部分だけである。
私がハリウッド映画を見るようになったのは戦後だが、ジェーン・ワイマンはBUSUの女優さんの代表で、「ガマグチ」ワイマンなどというニックネームで呼んでいた。
こういう女優は、ジェーン・ワイマンにかぎらない。ほかに「容貌が悪くても芸の巧い女優」としては、サイレントのマリー・ドレスラーから、ザス・ピッツ、トーキーになってからの名女優、フローラ・ロブソン、エルザ・ランチェスター、ドロシー・マッガイアー、いくらでも思い出せる。むろん、「容貌が悪いから必ず芸が巧い」わけではない。
だが、ジェーン・ワイマンという女優の「演技だって巧いと思ったことはいちどもない」といい切ってしまうのは、ワイマンに気の毒な気がする。
「失われた週末」(45)、「夜も昼も」(46)から注目してきたが、「ジョニー・ベリンダ」(46)、そしてアカデミー主演女優賞をとった「イヤリング」などは、今見ても、ジェーン・ワイマンの落ちついた演技が眼にうかんでくる。とくに「イヤリング」は、いつもドヘタなグレゴリー・ペックが、ワイマンのサポートのおかげで少しはましに見えたし、全体に子役のクロード・ジャーマン・ジュニアが場面をさらっていたため、ジェーンはめだたなかった。しかし、ジェーンは、きびしい自然のなかで孤独に生きていながら、妻として愛情に飢えている女を見せていた。
アメリカ開拓期のプロヴィンシャリズムを、ひとりの映画女優がこれほどみごとに表現したのははじめてとさえ見えた。(私のいうアメリカ開拓期のプロヴィンシャリズムは、サイレントのメァリ・マイルズ・ミンター、戦前の「麦秋」や、「シマロン」において、ひとつのピークに達する。戦後では「シェーン」で牧場主の妻をやったジーン・アーサーが、この開拓期プロヴィンシャリズムを見せていた。「帰らざる河」のマリリン・モンローもその例。ただし、オットー・プレミンジャーか開拓期プロヴィンシャリズムにまるで関心がないため、この映画のマリリンはただの淪落の女というイメージに終わっている。
筈見 恒夫が『女優変遷史』を書いた時期のジェーン・ワイマンから、後期のジェーン・ワイマンは大きく変化する。現在、韓国の崔 智充(チェジウ)が「流涕女王」だが、50年代からのジェーン・ワイマンも、アメリカの「流涕女王」だった。
たとえば、「All That Heaven Allows」(55年)や、「Miracle in the Rain」(56年)など。
「イヤリング」からの発展としては「ポリアンナ」(60年)をあげておく。
資料を読むときは、こういう――誤解とはいえないけれど、筈見 恒夫が見なかったことにも眼をくばる必要がある。