子どもの頃、海辺でひろった貝殻をたいせつにしていた。道で拾った小石をてのひらににぎりしめて、家に戻ってから、ためつすがめつ眺めた。そんな経験はだれにもあるだろう。
道みち、ちぎった木の葉や、小枝でさえ、いろいろな角度から眺めて、思いがけない美しさに気がついたりする。ただし、そんな小さな心の動きはすぐに忘れてしまうけれど。
ある男が、たまたまマンモスの角のかけらを掌にうけた。その美しさに心がときめいた。そして、尖った石をひろって、そこに愛するものの姿を刻みつけた。
ドイツのチュービンゲン大学の考古学研究チームが、ホーレ・フェルス洞窟で、3万5千年前のものとみられる「ヴィーナス」像を発見した。
高さ、約6センチ、幅、約3.5センチ、重さ、約33グラム。マンモスの牙を彫ったもので、人類最古の彫刻作品という。(「ネイチャー」’O9年5月14日号)
これまで、私たちに知られている「ヴィーナス」像とよく似ている。人体のプロポーションを無視したような巨大な乳房、ずんぐりした胴の下に、性器をしめす大きな亀裂が彫りつけられている。
この頃、ヨーロッパに進出していたクロマニョン人が作ったペンダントとされる。
これまで、最古の彫刻作品とされてきたのは、おなじ洞窟から発見された水鳥や、馬の頭で、3万年から3万3千年程前のものという。
これを作った男は、自分の手で石器を動かし、乳房や、それをかかえる両腕や、胴や、性器、手に比較すれば異様に短い両脚を彫りながら、よろこびを感じ、何ものにも換えがたい女体の美しさに感動していたのだろう。
うつくしいものを現実に存在するものとして表現しようとする。そこに、彫刻の原初的な情動がある。
(つづく)