毎日見かけたものだが、戦時中からまったく見かけなくなったシーン。今では、そんなものがあったことさえ知らない人が多い。
私が子どもの頃は、近在の農家の人が牛車や、馬車を引いてやってきた。どこの家庭でも糞尿の始末をこの人たちにまかせていた。農民は市民の排泄する糞尿を、大きなヒシャク(肥えビシャク)で汲み上げ、黒いタールを塗った木のタルにつめて、牛車や、馬車にのせて運搬する。これが、オワイ屋さん。
農家の栽培する野菜の肥料にするのだった。
アスファルトの道路でも、未舗装の道路でも、朝から晩までたえずオワイ屋さんの車が往来していた。ちょっと買い物に出れば、オワイ車の二、三台にぶつからないことはなかった。
タルには固くフタをしてあるので、糞尿がいっぱいつまっていれば音はしない。しかし、中身がいっぱいになっていないと、車の揺れで、タプンタプンと音がする。
フタが緩んでいたりすると、車の動きにつれて、中身が路上にまき散らされたりする。あわや落花狼藉(じゃないが)、道路はクソマミレになる。
オワイ車は臭いがひどい。
女、子どもは、オワイ車を見かけると、急いで逃げ出したり、わざわざ大回りをして、なるべく近づかないようにしていた。
1937年(昭和12年)、火野 葦平が芥川賞を受けた『糞尿譚』はオワイ屋さんを描いた名作。
おなじ年から書きはじめられた島木 健作の『生活の探究』にもオワイ車の描写が出てくる。誰かの心ないイタズラで、空気銃の弾丸が命中して穴の開いた木樽から、黄色い液体が放物線を描いて迸っているシーンがある。
日中戦争がはじまった年。
ねえ、忘れちゃいやよ。前年、渡辺 はま子の歌が大流行したが、この歌手の「ねえ」という、鼻声がひどくエロティックに聞こえる、とう理由で発禁になった。
この年、淡谷 のり子の「ああ、それなのに」が流行している。
戦前の日本がそんな国だったことを、ねえ、忘れちゃいやよ。
ああ、それなのに。(笑)