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 テオフィル・ゴーチェの娘、ジュディット・ゴーチェはたいへんな才女だったらしい。その才女ぶりについては、残念ながらジュディットの書いたものを読んだことがないので、ここに書くことができない。
 ジュディットには中国の詩を訳した著作があるというので、どういう詩人を訳したのか知りたいと思ってきた。どなたかご存じではないだろうか。

 1869年、コジマ・ワグナーが食事に招いている。このとき、コジマに招かれたのは、詩人のカチュール・マンデス、夫人のジュディット・ゴーチェ。同席したのは、ヴィリエ・ド・リラダン。眼がくらむような顔ぶれである。
 カチュール・マンデスは、作家、批評家。雑誌、「ルヴュー・ファンテジスト」の創立メンバー。ヴイリエ・ド・リラダンは、詩人、作家。
 ジュディットは、芳紀まさに19歳。カチュール・マンデスと結婚して、二年になっている。

 ホストは、ワグナーと、コジマ。

 食卓でどんな話題がかわされたのか。私のような想像力のとぼしいもの書きには見当もつかない。
 ジュディットは、異常なほど才能にめぐまれていた。言語に関して造形が深く、世界の文学を読破していた。中国詩を訳したほど外国語に精通していた。
 横顔がギリシャ彫刻を思わせる美貌で、ボードレールが、「ギリシャの美少女」と呼んだほどだった。
 ワグナーは、彼女がくるとすっかりご機嫌になって、自分の庭園のいちばん高い樹木の幹から、枝に足をかけて登ってみせた。家の高窓を越えるほどの高さだった。

 コジマは日記に書きとめている。

 「彼女(ジュディット)には常軌を逸したところがあって、突拍子もないふる舞いは私も手を焼いた――そのくせ、とても気立てがよくて、ひどく熱狂的。リヒ(ワグナー)にせがんで、ワルキューレや、トリスタンを歌わせた。」
 この記述は、1969年7月16日。

 翌日、コジマは日記でジュディットを「あの女」と書いている。

 その日のワグナー家の食卓でどんな話題がかわされたのか。私には見当もつかない。ただし、私は考えた。

 コジマのような女と出会わなくてよかった。コジマのような女を見かけたら、すぐに逃げ出したほうがいい。