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    人の貧富は天なり命なり、よしや生涯 薪(たきぎ)を樵(こり)て世をわたるとも、心清くは、朱買臣(しゅばいしん)にも耻(はづ)べからず、死灰(しかい)の人に愛せられんは愛せられざるにしかず

 馬琴を読んでいて、こんな一節にぶつかった。(「三勝半七」)
 江戸時代の作家が「愛」ということばを使っていたことがわかる。

 もつとも私のように無教養なもの書きには、江戸時代の作家のものはなかなかにむずかしい。引用した部分でも、朱買臣(しゅばいしん)の話が出てくる。
 前漢の人。家が貧しいため、薪(たきぎ)を切って売ったが、いつもふところに本を入れて歩きながら読んだ。妻は愛想をつかして、去った。
 のちに、会稽の太守として、故郷の町を通ったとき、前妻はこれを見て恥じ、みずから縊れて死んだという。
 死灰(しかい)がわからない。簡野 道明先生の『字源』には、死灰復然(しくわいまたもゆ)が出ている。
 「韓長儒伝」に・・・
 蒙の獄吏、田甲が、安国をはずかしめた。安国はいう。「死灰ひとり、また燃えずや。」甲いわく、「燃ゆるは すなわちこれに溺る」と。

 江戸時代の読者にはこれでわかったのだろう。「然」は、「燃」の正字という。これも、はじめて知った。
 とにかく無教養な私は、馬琴先生の学識の深さはわかるけれど、「死灰(しかい)の人に愛せられんは」がよくわからない。

 ついでに、馬琴の書いたエロティックなシーンを。

    さてなん、淫婦(たおやめ)密夫(みそかお)は折を得て、終(つい)に膠漆(こうしつ)の思ひをなしぬ。     (「お旬傳兵衛」)

 これだけ。
 江戸時代に生まれなくてよかった。(笑)