ドイツ語がわからないため、ヘルマン・ケステンの作品はほとんど読んだことがない。それでも「現代ドイツ作家論」という評論は、何度も繰り返して読んだ。
原題は「わが友/詩人たち」。
作家論というよりも自分の知っている19人の作家、詩人たちについての回想というべきもので、ホフマンシュタール、ツヴァイク、トーマス・マン、ハインリヒ・マンといった著名な作家たち、トラー、ヨーゼフ・ロートといった、あまり知られていない劇作家、詩人たちがとりあげられている。
この19人のなかで、ツヴァイクはブラジルで、トラーはニューヨークで、クラウス・マンはカンヌで、ヴァイスはパリで自殺している。そのほかにも、ロートはパリの施療院で、カイザーはスイスで窮死している。
ツヴァイクは、日米戦争が始まって、日本軍がシンガポールを攻撃したことを知って自殺しているし、エルンスト・ヴァイスは、ドイツ軍がパリを占領したとき、浴槽のなかでいのちを絶っている。
ほかの作家たちも、ドイツから亡命しなければならなかった人々ばかりだった。
ドイツの文学者たちの、きびしい生きかたに較べれば、私などは、まるっきりのほほんと「戦後」をかいくぐってきたもの書きにすぎない。
人並みに戦争で苦労はしたが、戦後になってから活動しはじめたため、ドイツの亡命作家たちの言語に絶する辛酸を知らない。だから、私はドイツの亡命作家について語る資格はない、といううしろめたさがある。それでいて、こんな悲惨な時代に生きた作家、おそろしく陰惨な時代にまつわっている苦難は、忘れてはならない。そういう思いから『ルイ・ジュヴェ』を書いた。私なりの決着のつけかただった。
スターリンが死んだとき、わざわざ狸穴のソヴィエト代表部に出かけて、備え付けのノートに、「最も高潔な人の名に、人類の記憶よ、ながくとどまれ」などと、ベタベタに感傷的な弔辞を書きつけた中野 重治のような決着のつけかたではなかった。私は中野 重治に対して冷たい侮蔑しかおぼえない。
いま、私がヘルマン・ケステンを読むのは、ドイツの作家たちに対する敬意を忘れないためと――自分の「戦後」をあらためてたしかめるつもりで読む。むろん、自分をケステンと比較するつもりはまったくない。もとより自虐の思いではない。