ヘルマン・ケステンのことば。
すぐれた散文家かどうかは、書き出しの1ページを読めばわかる、わるい散文家かどうかも。
これは本当のことだ。
私のクラスから、かなり多数の翻訳家たち、けっして多くはないが、エッセイスト、作家が出た。自分のキャリアーについては語るべきこともないが、このことだけはうれしく思っている。
私がクラスでいい続けてきたのは、じつに平凡なことだった。
いい翻訳かどうかは、書き出しの1ページを読んだだけでわかる、おもしろくない翻訳かどうかも。原作者は、たぶん自分の作品をおもしろいと思って書いているのだから、きみもおもしろく訳さなきゃ。
こういう私の考えかたは、
いいか、きみの演じる人物には、劇場の色彩ゆたかな幕、脂粉の匂いが感じられなきゃ。お客は、自分が芝居小屋にいるっていうイリュジォンを味わうために金を払っている。……観客からその幻想を奪うってノは、間違いもいいところだぜ。
ということばを私なりに(つまりは勝手に)発展させたものだった。
ルイ・ジュヴェのことば。映画「俳優入門」から。