少し前に、私のクラスで、ノエル・カワ-ドの戯曲、“Shadows of the Evening”を読んだ。
いろいろなテキストを読んできたが、カワードをとりあげたのは今回がはじめて。
いかにもカワードらしい手だれの劇作で、底の浅い芝居。いわゆるウェル・メイド・プレイだが――ラストで、観客はつよい感銘を受けるだろうなあ、と思う。劇作家の技巧もさることながら、やはり年輪というか、成熟を物語っているだろう。幕切れに近く、ぐっと感動がやってきて、観客は、いい芝居を見たことに満足して劇場を出るだろう。
こういうところ、ある時期の劇作家はみごとに見せている。私はみんなにこまかく説明してやる。わかってもらえたかどうか。この幕切れは、もうチェホフだよ。
第二場の「トガキ」だけを引用してみよう。
第一場から1時間が過ぎている。窓の外に夕闇がひろがっている。湖の対岸にちらほら明かりがともり始めている。高い山の彼方の空だけが、まだわずかに明るい。
召使が、シャンパンの壜を入れたアイスペ-ル、グラスをのせたトレイをもって、ドリンクテ-ブルの仕度をととのえる。
ややあって、寝室からリンダが出てくる。イヴニング・ドレス。腕にイヴニング・コ-ト、白い手袋。
こんな「トガキ」だけでは、何も見えてこないだろうが――湖畔の避暑地、「リンダ」は、まさにノエル・カワ-ド・ヒロインである。そして、ジョ-ジが登場する。タキシ-ド。胸に赤いカ-ネ-ション。
「リンダ」は、リリー・パーマー。「ジョン」は、レックス・ハリソン。
これだけで舞台にぐっと立ちこめてくるものが想像できる。 (つづく)