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ふたりの中国人留学生(女性)に中国語の初歩を教えてもらった。
 そのおひとりは、イギリス人と結婚して、現在ロンドンに住んでいる。
 もうひとりの彼女は、日本の国立大の工学部で、コンピューターの最先端の研究をしていた。在学中に発表した論文で、工学博士号をとったほどの女性だった。
 ある日、彼女が浮かぬ顔で、
 「大学の図書館が、私の専門分野の雑誌の講読をやめたんですよ」
 といった。
 彼女の話によると、その専門誌を読まないと、世界の研究のレベルにとても追いついてゆけないらしい。私は訊いた。
 「大学の学生たちも読むの?」
 彼女の説明によれば、高度な内容の学術雑誌なので、実際に読めるのは10人程度。
 個々の論文を完全に理解できるのは、ほんの数人にかぎられるというのだった。
 大学当局は、利用者がきわめて少ない学術雑誌なので講読を打ち切ったらしい。
 彼女は、ちょっと悲しそうな表情で、
 「日本の研究は、これで遅れますね」
 といった。
 このことばが私の心に重く沈んで行った。

 せっかくこんな優秀な女性に教えてもらったのに、私の中国語の勉強は途中で挫折してしまった。彼女がある研究所に入ったため、中国語を教えるどころではなくなったから。
 つい最近、(09.2.1)知ったのだが、理論物理学の論文を掲載する雑誌に、「プログレス・オヴ・セオリティカル・フィジックス」という学術雑誌がある、そうな。
 この雑誌は、敗戦の翌年、湯川 秀樹博士が呼びかけて創刊されたもので、ノーベル物理学賞の小林 誠、益川 敏英先生の論文も発表されたことがあるという。しかし、現在は赤字がつづいている。そのため、存続できるかどうかというところまで追つめられているらしい。

 一方、国内の科学研究者の論文の8割までが、外国の雑誌に発表されているという。国立大学で最先端科学の雑誌さえ、講読を打ち切ってしまうような国の教育に、はたして未来はあるのだろうか。
 20年後、30年後に、小林 誠、益川 敏英先生のような俊英があらわれなくなる可能性があると考えるだけで、この国のみじめさ、憐れさがひしひしと感じられてくる。