私がとりあげなかったテーマは、食べものと病気。
そこで病気の話。
その前に――なぜ病気の話をしなかったか。私なりの理由があった。
ずいぶん昔のことだが・・・・「近代文学賞」というささやかな文学賞をいただいたことがある。
受賞式に、先輩批評家のみなさんが集まってくださった。私が30代だったのだから、みなさん50代で、いちばん若い荒 正人さんも、やっと50代に入ったばかりではなかったか。
この賞は藤枝 静男さんの援助によるものだったので、藤枝さんも出席なさった。
この席でみなさんが話題になさったのは、もっぱら病気の話ばかり。藤枝さんは有名な眼科の先生だったから、みなさんも気軽に医学的なことを相談なさったのだろうと思う。
平野 謙が藤枝さんをつかまえて、いろいろな病気の話をはじめたが、たちまち話題は病気のことに集中した。みんな、楽しそうに自分の病気の話をする。
いろいろな病気の話が出た。
本多 秋五さん、佐々木 基一さんまでが、病気の話をひどくたのしそうに話しあっている。「最近、階段の上り下りがつらくてねえ」といえば、「ぼくも、膝にヒビがはいっちゃって、走れないんだよ」とか、「それゃあ、オスグッド・シュラッター病だよ」とか、「最近になって、どうもアレルギーじゃないかという気がしてきた」とか、「いやぁ、ツーフーってノは、痛いモンだねぇ」とか。
当時はまだ、バイアグラは出現していなかったが、もし、バイアグラが実用化されたとして、埴谷 雄高さんはじめ先輩の方々が、それを話題になさったかどうか。
おそらく話題にもならなかったに違いない。
私は先輩の方々から受賞理由なり、講評なりを聞かされて、かなり突っ込んだ批判を受けるものと覚悟していたが、まったく話題に出なかった。最初から最後まで、和気あいあいといった雰囲気でひとしきり病気の話で盛り上がってから、山室 静さんが、
「はい、これ、副賞です」
といって、見事な堆朱のタバコ入れを下さった。
ある世代、またはある年齢になると、病気はけっこう社交的に有効な話題になり得るだろう。その場合、いくら病気を話題にしたところで、あるいは生きることに対してシニックに、自虐的になるわけのものでもない。
現在なら、自分がホモセクシュアル、またはレズビアンなどとカミングアウトしても、非難されることはない。それとおなじことだろう。
まして、平野さん、本多さん、藤枝さんはお互いに親しい友人だから、いくら病気の話をしたところでかまわない。
しかし、私は決心したのだった。自分からはけっして病気の話をしないこと。
(つづく)