子規の批判いらい、談林の俳句はあまり高く評価されない。なにさま貞門の句の低俗な趣きはあまり歓迎されないが、私はいっこうにこだわらない。
談林の句にもいい句はいくらでもころがっている。もしや、談林の句がおもしろくないのは、こちらに教養がないせいでもあって、私は近代の写実ばかりを俳句の王道とは思わない。
花むしろ 一見せばやと存じ候 宗因
お花見。花を見るのにいい場所は、先にとられて、幔幕などで隠されている。そのなかに、どんな美人がきているのだろうか。ひとつ、ぜひにも見たいものだ。
そんなところだろう。
むろん、お花見の客にまざって、私も一緒に花を賞でよう、ということでもいい。しかし、この句には、男なら誰でももっている、いたずらな voyeurism めいた、うきうきした気分がある。むろん、「一見せばやと存じ候」は謡曲のパクリだが、これだけで、花にうかれ、いささか酒に酔った男の、かすかないたずら心まで見えてくる。
近代俳句が身につけなかった遊び。