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 私は、トウ子さんのファンである。
 トウ子こと、宝塚歌劇団。星組トップ・スター、安蘭 けい。おなじ宝塚のトップ・スターのなかでも、現在、もっとも注目すべき男役スターだと思っている。

 その安蘭 けいが、星組を退団するという。
 ファンとしては、かねて覚悟はしていたものの、実際に発表されてみるといささかショックであった。

 彼女の代表作は、「雨に唄えば」、「王家に捧ぐ歌」(03年)、トップになってからの「エル・アルコン」(07年)、さらには「スカーレット・ピンパーネル」(08年)あたり。ブロードウェイ作品としての「スカーレット・ピンパーネル」は、昨年度の各紙でもとりあげられ、「読売」演劇賞を受けている。

 安蘭 けいの特質は、なんといっても抜群の歌唱力である。宝塚のトップ・スターなのだから歌がうまいのは当たり前だが、いろいろな過去や現在を背負って、いろいろなー役」をこなしてきたスターらしい存在感をもったひとは少ない。

 たとえば、今のブロードウェイに出て、即戦力として通用するミュージカル女優が「宝塚」にいるだろうか。大半の女優は、オーディションの段階で落ちるだろう。ブロードウェイ・ミュージカルどころか、地方のコミュニテイ・シアターあたりにも、タカラジェンヌ程度の女優は掃いて捨てるくらいいる。

 しかし、安蘭 けいなら、このままブロードウェイに出ても、圧倒的な存在感を見せるだろう。それほどにも器量は大きいのである。
 たとえば、「王家に捧ぐ歌」の「アイーダ」の可憐さ。
 エチオピアの王女として、敵将、「ラダメス」への愛、祖国への愛、親子の情の揺れる心を、華麗に歌いあげた。男役としての声域なのに、ほんらいの女性としてのソプラノをみごとに歌った。(私は、ゼフィレッリ演出の、マリア・グレギナを思い出しながら、これを書いている。)
 「スカーレット・ピンパーネル」では、彼女の声を聞いた作曲家、ワイルド・ホーンがわざわざ新曲を書いた。その一つ、「ひとかけらの勇気」は、観客の心にまっすぐ届くひたむきな歌声とともに、このミュージカルの名曲になった。

 むろん、彼女にも欠点はある。
 はっきりいって、安蘭 けいのセリフ、エロキューション、それも発声、ディクションに難がある。もっともっと、ことばをたいせつに、かつ、正確につたえてほしい。
 歌ではまったく気にならないが、セリフになると関西のアクセントが見え隠れする。以前よりは、ずいぶんよくなっているとはいえ、それでもそのアクセンチュエーションが耳ざわりである。
 「エル・アルコン」の「ティリアン」では、クールで冷酷な役柄のせいか、静かなモノローグが多く、正確さがもとめられる場面では、アクセント、エルキューションの弛緩は、どうしても気になる。感情の激発でこの欠点がはっきりしてくる。
 彼女自身は何も気がついていないかも知れない。演出家も、トップ・スターには何もいえないのかも知れない。しかし、この難点を克服できれば、もともとすぐれた資質にめぐまれているのだから、ミュージカルの名女優として記憶されるだろう。

 私たちは、あまりに多くの宝塚スターたちが、ついにおのれの欠点に気づくことなく、舞台を去って行ったのを見てきたのである。