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 日本で、シャルル・デュランが知られたのはいつ頃だったのか。私は評伝『ルイ・ジュヴェ』を書いていた時期から、このことはずっと気になっていた。

 最近になって、ようやく、デュランに関して、もっとも早い記述と思われるものを見つけた。題も「Charles Dullin」である。

    サロスに入つたアンリ・デ、ブュイ・マジェル原作、レエモン・ベルナアル作品「狼の奇蹟」は大なる歴史物で知名の名優が雑然と入り亂れて沢山に出てゐる。がその混然たる中で一番よかったのは路易十一世である。これはまた他と比較して段違ひに巧い。それもその筈、路易十一世を演つたのは、別人ならずシャルル・デュランその人なのである。
    と云つた丈で合点が行かないのならもう一言云ひ添へやう。ジャック・コポオのヴィユウ・コロムビエ座の没落以来、新劇運動の為めに活躍してゐる唯一の劇団とも称す可き「アトリエ劇団」の総大将こそシャルル・デュランなのである。即ちデュランなのである。即ちデュランは座長並俳優として此の劇団をひつさげ、八面六臂の勇を振って、佛劇壇に悪戦苦闘を続けてゐる男なのだ。そこらにもゐる有象無象とは理が違ふ。

 わずかこれだけだが、おそらくこれが最初の記述だろう。(「キネマ旬報」大正15年2月15日号)