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 前に書いたことがある。
 もう一度、くり返しておこう。
 「俳優という職業はつらいものだ」と、サマセット・モームはいう。モームがいっているのは、自分が美貌だからという理由だけで女優になろうとする若い女性や、ほかにこれといった才能もないので俳優になろうと考えるような若者のことではない。

     「私(モーム)がここでとりあげているのは、芝居を天職と思っている俳優のことである。(中略)それに熟達するには、たゆまぬ努力を必要とする職業なので、ある俳優があらゆる役をこなせるようになったときは、しばしば年をとり過ぎて、ほんのわずかな役しかやれないことがある。それは果てしない忍耐を要する。おまけに絶望をともなう。長いあいだの心にもない無為も忍ばなければならぬ。名声をはせることは少なく、名声を得たにしてもじつにわずかばかりの期間にすぎない。報われるところも少ない。俳優というものは、運命と、観衆の移り気な支持の掌中に握られている。気にいられなくなれば、たちまち忘れられてしまう。そうなったら大衆の偶像に祭りあげられていたことが、なんの役にも立たない。餓死したって大衆の知ったことではないのだ。これを考えるとき、私は俳優たちが波の頂上にあるときの、気どった態度や、刹那的な考えや、虚栄心などを、容易にゆるす気になるのである。派手にふるまおうと、バカをつくそうと、
    勝手にさせておくがいい。どうせ束の間のことなのだ。それに、いずれにしろ、我儘は、彼の才能の一部なのだ。」

 私はモームに賛成する。だから俳優や女優のスキャンダルを書きたてる芸能ジャーナリズムにはげしい嫌悪をおぼえる。

 ある女優(というより、タレントといったほうがいい)の不審死。
 名優といわれていた俳優の死。
 それぞれの死に対する、私の思いはここに書く必要はない。ただ、この女優の死に、私たちの時代をおおっている何か忌まわしいものを重ねた。そして、この俳優の死を悼みながら、ほんらい舞台人だった彼が、映画やテレビに力をふり向けなければならなかったのは、私たちにとって不幸なことではなかったか、と思った。

 俳優や女優の死は、本人の不幸というよりも、私たちにとって不幸なのだ。