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村上君
 
 きみから思いがけないメールがあってうれしかった。ありがとう。

 こんなかたちで、とりとめもない文章を書いていると、ときどき思いがけない人からメールをいただく。ほとんどが未知の人からのものだが、きみのようにずっと消息がとだえていた人からのメールは、なつかしさと同時に、遠く離れた土地で私のブログを読んでくれる人がいることがわかってうれしいのだった。

 「私のことをおぼえておいででしょうか」と、きみは書いている。

 私が富山を去るとき、きみはわざわざ深夜の駅まで見送りにきてくれたね。夜行列車だったから、プラットフォームにはもう誰もいなかった。ただの旅行者といっていい私を、わざわざ駅まで見送ってくれたきみの好意は忘れるはずもなかった。
 あれから、おびただしい歳月が過ぎてしまった。

 お互いに共通の友人だった桜木 三郎も亡くなっている。大川 三十郎も。
 自分の人生でめぐりあった貴重な友人たち。
 大川は、私の小さな劇団で、演出助手、舞台監督をやってくれた。私のように空想家で、実際の舞台ではとてもできそうもないことばかり考える演出家にとって、彼ほど有能で実際的な助手はいなかった。
 私もそうだったが、彼も芝居のことしか頭になかった。しかも、じつにいろいろな本を読んでいた。いちばん好きな作品は、ドリュ・ラ・ロシェルの『ジル』だった。ドリュは、当時ひどく評判の悪い作家だったから、私は驚いたおぼえがある。
 『ルイ・ジュヴェ』のなかで、しばしばドリュについてふれたのも、じつは大川を思い出して書いたのだった。
 大川は、私の訳した『闘牛』が気に入っていた。登場人物が、30名。小劇団ではできそうもない台本だった。「先生、あのホン、ぜひやりましょうよ」といいつづけた。
 私は、彼の熱意にほだされて演出を決意したのだった。   (つづく)