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 歳末である。

 年の瀬を詠んだ句は、いくらでもあるけれど、名句といえる句は少ないのではないか。むろん、私が知らないだけのことだが。

     世に住まば 聞けと師走の 碪(きぬた)かな    西 鶴

 きぬたは、衣板(きぬいた)からきたことばという。女が木のツチ(きづち)で、布を打って、やわらかくしたり、つやを出したりする。その布を置く木、または石の台をいうらしい。私は見たことがない。ただ、「冬のソナタ」で、チェ・ジウが、洗濯をするシーンがあって、彼女が布を叩いているのを見た。きっと、昔の日本人も、ああいうふうにして、布を打ったのだろうと思った。

 「きぬた」は秋の季語らしい。もし、秋の季語とすれば、師走が冬だから、季重リだが、西鶴はそんなことを無視している。むしろ、この句に、さびしみ、またはアイロニーを読むことができよう。
 いろいろと忙しい年の瀬になって、女がきぬたを打っている。もっと早く、やっておく仕事なのに。あわただしいことで、いよいよ押し迫ってから、きぬたの音を立てている女のあわれが感じられる。これが一つ。
 年の瀬が迫ってきている。それなのに、師走の夜を懸命にきぬたを打っている。やすまずに働きつづける女の殊勝なふるまい。これがひとつ。
 「聞けと」という言葉に、師走に聞くきぬたの音のかなしさも響いている。

 「世に住まば」は、世間に住んでいれば、という意味だが、そうではなく、かつがつの暮らしぶりをしていても、このきぬた打ちの音を聞いてください、貧乏なんぞに負けていませんよ、というけなげな心根さえ聞き届けられよう。

 歳末のいい句だと思う。